【機能と形態】
体重と健康維持のためにスポーツクラブに通ってかれこれ20年になる。食事もそれなりに注意しているためか体重に変化は無いが、体型は 少し変わった。いくら腹筋運動をしても下腹が引っ込まないのだ。13年間飼っていたコーギーが昨年天国に旅立ったので朝夕の散歩をしなくなった。そういうこともあって週末は意識して自宅近郊を歩くことにした。
幸い家の近くから10分ほど行くとすぐ坂道になる。伏見のバラ園や旭山公園、日によっては界川から円山西町を経由して円山山麓を一周する。気が向くと大倉山まで歩く。余力があるときはジョギングしている人の後ろを少し走ってみたりする。けっこうな勾配が続くので平地よりだいぶエネルギーを使い、汗が吹き出てくる。 都心を離れたこのあたりは自然に恵まれ、四季の移ろいがより身近に感じられるのがいい。
趣味とまでは言えないが建築を見るのが好きだ。それは公共の建物でも商業ビルでも個人の住宅でもよくジャンルを問わない。
ウォーキングの経路にはハウスメーカーの建てた住宅以外に自由設計の家も多く目にする。いわゆる豪邸もたくさんあるがそのほとんどは自分の好みに合わない。ずいぶん費用をかけたであろうに、もう少しセンスのある設計をしたらよかったのにとか、よい建築家にめぐり逢えればもっと洗練された家になったはずなのにとか、心の中で勝手に「大きなお世話」をしまくっている。
めったに無いが自分の感性に少しだけ一致する建物もたまにある。それには共通性があって、直線を生かして無駄な装飾が無く大きなガラスの開口部を持ったシンプルなデザインのものだ。縦と横のバランスも重要だ。横の直線を生かしたものが好きだが敷地面積が限られている中でそれを実現するのは難しい。建築家の腕のみせどころでもある。
つまるところ究極の自分の好みはミース・ファン・デル・ローエに行き着く。専門家ではない限り日本ではあまりなじみがないかもしれないが、ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトと並び20世紀モダニズム建築を代表するドイツの建築家だ。ナチス時代のドイツからアメリカに亡命して教鞭をとったのがイリノイ工科大学だった関係で彼の設計したビルはシカゴに多い。
しかしミースといえばニューヨークで唯一の作品となる1958年竣工のシーグラムビルであろう。敷地に広場を大きく取り、2層分のピロティー上に鉄骨とガラスの壁面でシャープに構成された38階のビルはそれ以降の高層ビル建築のモデルとされ、デザインの完成度においては今に至ってもこれを超えるものはないとさえ言われている。
ミースを語る時にもうひとつ忘れてならないものにファンズワース邸がある。週末用の別荘として1950年にイリノイ州の郊外に建てられたこの建物にはそのシンプルな外観からは窺がうことが難しい人間臭いエピソードが残っているが、それについてはここでは触れない。
やはり地上から床を離してピロティーとして軽やかさを表し、その上には高層のシーグラムビルとは逆に、横のラインを思い切って強調した鉄骨とガラスの構造体が浮かんでいる。何かを付け加えても何かを取り除いても別なものになってしまいそうなシンプルで絶妙なプロポーションが成立している。この写真を初めて見たときは奈良の正倉院を連想した。住む人を峻別する建物と言えるかもしれない。
ミースの建築コンセプトは“Less is more”だそうだ。「無駄がないほど得るものが多い」、あるいは「省略の美」ということか。逆説的に聞こえるが、まさに言い得て妙ではないか。直線的なシャープさと装飾性を極力取り去ったシンプルなデザインがモダニズム建築の特徴のひとつだが、その無機質さを受け入れられない人もいるだろう。それは人それぞれの好みの問題なので仕方がない。
しかしすでに半世紀以上の年月を経た今にいたっても何ら古さを感じさせず、「モダニズム」の文字通りわれわれに現代的な感覚を与えているのは、人の感性に訴える何らかの不偏性を秘めているからではないのだろうか。
外観と機能を調和させて依頼主に100%の満足を与えてくれるのが真に優れた建築家とするなら、安藤忠雄の初期の設計で若き時代の代表作といえる「住吉の長屋」はどうか。3軒に連なった木造長屋を切り離したその真ん中に、コンクリート打ち放し住宅がある。古い住宅密集地にあって異形とも言うべきコンクリートの建物は際立って目立ち、住む人の(あるいは設計者の)強い主張が感じられる。
わずか14坪の敷地に建つ間口3.3m、奥行き14.1mの細長い建物の中央に吹き抜けの中庭があり、居室はこの庭によって前後に分断されている。意外ともいうべき大胆な発想と独創性が評価されたのか1979年に日本建築学会賞を受賞した。
吹き抜けの中庭から十分な採光が確保され、四方をコンクリートの壁に囲まれているので隣家からの目線も遮られプライベートも確保される。しかし2階や前後の部屋への往復には必ずこの中庭を通らなければならないために、いったん戸外に出ざるを得ない構造になっているのだ。雨の日は傘が必要だろうし、靴もはき替えなくて はならない。
極度に限られた条件の中で、自然を感じられる居住空間を創るという建築家の確たるコンセプトは非凡であるとしても、こうなると家に合わせて生活する住み手の努力と忍耐が必要になる。もちろん、ほとんどの建築家は限られた予算や敷地の条件下で、クライアントの要望を最大限取り入れて期待以上の提案をするものである。
機能と形態については歯科の分野でも常に不可分な関係がある。咀嚼に際しては、まず前歯で食物を確保し次に小臼歯で細断し大臼歯でさらに細かく噛み砕く。その際食物が上下の歯列の間にうまく位置するよう舌が絶妙な動きで協調する。上下それぞれの歯はその働きに応じた形をしている。
人工的に作った歯冠や義歯を用いて失われた形態を回復するときには、残った歯列やその人固有の顎運動にぴったり調和するように100分の1ミリ単位で調整する必要がある。治療した歯を意識することなく自然に食べたり話したりできることが治療成功の条件になる。
しかし時には我々がよしとした治療でも患者さんに必ずしも満足されないことがある。咬合のバランスに問題が残っていることもあるが、よく聞いてみると口元のしわを目立たないようにしたいとか、歯の色をもっと白くしたいとか主に見た感じのイメージの改善を訴えることが多い。
そういう時はこちらが不自然とは思っていても、機能を阻害しない範囲で患者さんの希望を最大限尊重する。患者さんに喜んでもらえるのが一番と思うからだ。
▽総合的な治療が可能な歯科医院です
医療法人 二期会歯科クリニック / 矯正歯科 小児歯科 歯科口腔外科 審美歯科
札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F TEL:011-251-2220
体重と健康維持のためにスポーツクラブに通ってかれこれ20年になる。食事もそれなりに注意しているためか体重に変化は無いが、体型は 少し変わった。いくら腹筋運動をしても下腹が引っ込まないのだ。13年間飼っていたコーギーが昨年天国に旅立ったので朝夕の散歩をしなくなった。そういうこともあって週末は意識して自宅近郊を歩くことにした。
幸い家の近くから10分ほど行くとすぐ坂道になる。伏見のバラ園や旭山公園、日によっては界川から円山西町を経由して円山山麓を一周する。気が向くと大倉山まで歩く。余力があるときはジョギングしている人の後ろを少し走ってみたりする。けっこうな勾配が続くので平地よりだいぶエネルギーを使い、汗が吹き出てくる。 都心を離れたこのあたりは自然に恵まれ、四季の移ろいがより身近に感じられるのがいい。
趣味とまでは言えないが建築を見るのが好きだ。それは公共の建物でも商業ビルでも個人の住宅でもよくジャンルを問わない。
ウォーキングの経路にはハウスメーカーの建てた住宅以外に自由設計の家も多く目にする。いわゆる豪邸もたくさんあるがそのほとんどは自分の好みに合わない。ずいぶん費用をかけたであろうに、もう少しセンスのある設計をしたらよかったのにとか、よい建築家にめぐり逢えればもっと洗練された家になったはずなのにとか、心の中で勝手に「大きなお世話」をしまくっている。
めったに無いが自分の感性に少しだけ一致する建物もたまにある。それには共通性があって、直線を生かして無駄な装飾が無く大きなガラスの開口部を持ったシンプルなデザインのものだ。縦と横のバランスも重要だ。横の直線を生かしたものが好きだが敷地面積が限られている中でそれを実現するのは難しい。建築家の腕のみせどころでもある。
つまるところ究極の自分の好みはミース・ファン・デル・ローエに行き着く。専門家ではない限り日本ではあまりなじみがないかもしれないが、ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトと並び20世紀モダニズム建築を代表するドイツの建築家だ。ナチス時代のドイツからアメリカに亡命して教鞭をとったのがイリノイ工科大学だった関係で彼の設計したビルはシカゴに多い。
しかしミースといえばニューヨークで唯一の作品となる1958年竣工のシーグラムビルであろう。敷地に広場を大きく取り、2層分のピロティー上に鉄骨とガラスの壁面でシャープに構成された38階のビルはそれ以降の高層ビル建築のモデルとされ、デザインの完成度においては今に至ってもこれを超えるものはないとさえ言われている。
ミースを語る時にもうひとつ忘れてならないものにファンズワース邸がある。週末用の別荘として1950年にイリノイ州の郊外に建てられたこの建物にはそのシンプルな外観からは窺がうことが難しい人間臭いエピソードが残っているが、それについてはここでは触れない。
やはり地上から床を離してピロティーとして軽やかさを表し、その上には高層のシーグラムビルとは逆に、横のラインを思い切って強調した鉄骨とガラスの構造体が浮かんでいる。何かを付け加えても何かを取り除いても別なものになってしまいそうなシンプルで絶妙なプロポーションが成立している。この写真を初めて見たときは奈良の正倉院を連想した。住む人を峻別する建物と言えるかもしれない。
ミースの建築コンセプトは“Less is more”だそうだ。「無駄がないほど得るものが多い」、あるいは「省略の美」ということか。逆説的に聞こえるが、まさに言い得て妙ではないか。直線的なシャープさと装飾性を極力取り去ったシンプルなデザインがモダニズム建築の特徴のひとつだが、その無機質さを受け入れられない人もいるだろう。それは人それぞれの好みの問題なので仕方がない。
しかしすでに半世紀以上の年月を経た今にいたっても何ら古さを感じさせず、「モダニズム」の文字通りわれわれに現代的な感覚を与えているのは、人の感性に訴える何らかの不偏性を秘めているからではないのだろうか。
外観と機能を調和させて依頼主に100%の満足を与えてくれるのが真に優れた建築家とするなら、安藤忠雄の初期の設計で若き時代の代表作といえる「住吉の長屋」はどうか。3軒に連なった木造長屋を切り離したその真ん中に、コンクリート打ち放し住宅がある。古い住宅密集地にあって異形とも言うべきコンクリートの建物は際立って目立ち、住む人の(あるいは設計者の)強い主張が感じられる。
わずか14坪の敷地に建つ間口3.3m、奥行き14.1mの細長い建物の中央に吹き抜けの中庭があり、居室はこの庭によって前後に分断されている。意外ともいうべき大胆な発想と独創性が評価されたのか1979年に日本建築学会賞を受賞した。
吹き抜けの中庭から十分な採光が確保され、四方をコンクリートの壁に囲まれているので隣家からの目線も遮られプライベートも確保される。しかし2階や前後の部屋への往復には必ずこの中庭を通らなければならないために、いったん戸外に出ざるを得ない構造になっているのだ。雨の日は傘が必要だろうし、靴もはき替えなくて はならない。
極度に限られた条件の中で、自然を感じられる居住空間を創るという建築家の確たるコンセプトは非凡であるとしても、こうなると家に合わせて生活する住み手の努力と忍耐が必要になる。もちろん、ほとんどの建築家は限られた予算や敷地の条件下で、クライアントの要望を最大限取り入れて期待以上の提案をするものである。
機能と形態については歯科の分野でも常に不可分な関係がある。咀嚼に際しては、まず前歯で食物を確保し次に小臼歯で細断し大臼歯でさらに細かく噛み砕く。その際食物が上下の歯列の間にうまく位置するよう舌が絶妙な動きで協調する。上下それぞれの歯はその働きに応じた形をしている。
人工的に作った歯冠や義歯を用いて失われた形態を回復するときには、残った歯列やその人固有の顎運動にぴったり調和するように100分の1ミリ単位で調整する必要がある。治療した歯を意識することなく自然に食べたり話したりできることが治療成功の条件になる。
しかし時には我々がよしとした治療でも患者さんに必ずしも満足されないことがある。咬合のバランスに問題が残っていることもあるが、よく聞いてみると口元のしわを目立たないようにしたいとか、歯の色をもっと白くしたいとか主に見た感じのイメージの改善を訴えることが多い。
そういう時はこちらが不自然とは思っていても、機能を阻害しない範囲で患者さんの希望を最大限尊重する。患者さんに喜んでもらえるのが一番と思うからだ。
▽総合的な治療が可能な歯科医院です
医療法人 二期会歯科クリニック / 矯正歯科 小児歯科 歯科口腔外科 審美歯科
札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F TEL:011-251-2220
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by nikikai_sapporo
| 2009-05-24 12:21