~「映画の言霊」を読んで~
最近読んだ映画関連の本で面白かったのは、重田サキネ著「映画の言霊」である。この本は北海道新聞の夕刊に3年ほど連載されていた映画のセリフに関するコラムをまとめた作品である。チョイスされた映画とセリフ、そしてそのセリフからくみ取る人生訓の切り口が、巷に溢れる「名セリフ集」の類とは一線を画し、すこぶる新鮮である。強いてマイナス点をいえば、チョット説教くさすぎるところだと思うが。
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_1222191.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_1222191.jpg)
この本に掲載されたセリフの中に、私のお気に入りのセリフが2つ取り上げられていたので非常にうれしく思った。今回はこれら2つのセリフについての私的考察である。
*****
「人生には目撃者が必要なの」~映画:シャル・ウィ・ダンス? より
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_12221690.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_12221690.jpg)
日本映画の傑作「Shall we ダンス?」のハリウッドリメイク版の中のセリフである。リチャード・ギア扮する夫が社交ダンス&ダンスインストラクターに「恋」をする。それは「日常」=「妻」に対する「非日常」=「浮気」と言えるであろう。この物語が下世話なドロドロした話にならないのは、日常と非日常の存在意義をひっくり返そうとするのではなく、日常に踏みとどまりつつ非日常から得た生命力(生き生きした感情)を日常にフィードバックしていこうとする展開だからだと思う。
日本版では夫(役所広司)の踏みとどまり方が共感を呼ぶが、ハリウッド版では妻(スーザン・サランドン)の踏みとどまらせ方が素晴らしい。日本版では妻の描き方がかなりあっさりしているのだが、妻の存在感を映画の核に据えたハリウッド版の脚色はこの点において出色の出来映えだと思う。夫婦とは何か?結婚とは何なんだ?と改めて考えてしまう状況下で、妻が夫に発する決めゼリフが「人生には目撃者が必要なの」である。
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_12222537.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_12222537.jpg)
「目撃者」とは何か? 独身者である重田サキネ氏の言葉を借りると「感情や思い出を共有する相手」ということになるが、その表現はちょっとキレイすぎる。 原語では確かwitnessだったと思うので、「証人」でも「立会人」でもいいわけだ。私としては「証人」が一番しっくりする。
結婚とは、これからの私の人生で起こる良いことも悪いこともすべてにおいて「コイツが私の証人ですよ」と宣言することなのだと思う。妻(あるいは夫)とは人生すべてを見られてしまう存在ではなく、見守ってくれる存在なのだと思いたい。ガーシュウインの名曲でいえば ”Someone to watch over me”なのだ。
私の寿命が尽きて三途の川を渡り、閻魔大王の前で裁きを受けるとき、弁護側の証人として出廷するのも検察側の証人として証言するのも「ウチのカミさん」なのである。ありがたや、ありがたや。こんなとき証人としてだーれも出てきてくれなかったら、そりゃもう悲しくてつらくて、死んでしまいたくなるはずなのだ。いや、そのときにはもう死んでいるのかぁ・・。
*****
「本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」~映画:椿三十郎 より
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_1222349.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_1222349.jpg)
これは黒澤明の超有名作品の名セリフである(森田芳光監督の2007年リメイクは全く同じ脚本を映画化しているので、当然このセリフも出てくるわけである。何という冒険!とういうか暴挙!?)。迷うことなく敵をばっさばっさと切り倒す三船敏郎=椿三十郎に対して、老奥方=入江たか子が諭すように「あなたはギラギラした抜き身の刀の様。 本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」と言うのである。
重田サキネ氏の現代的捉え方が実におもしろい。彼女曰く、現代人(特に若者)は良くも悪くも「鞘に収まった刀」ばかりなのである、と。その不気味さと抑圧をため込んだ「刀」は、稀に世間に飛び出す「抜き身」に対して過剰な嫉妬とバッシングをぶちまけるのである、と。
「抜き身」と言ったって、三船=三十郎のように凄腕の本物はほとんどおらず、たまたまキレて本音をバリバリ前面に出す奴とか、自己表現がすべてと言わんばかりに吠えまくる奴とか、「目立つ馬鹿」がほとんどなのだ。しかし「ギラギラした本物」と「目立つ馬鹿」との違いなど「鞘に収まった刀」集団には関係ないのであって、お構いなしにどちらもこっぴどく叩かれまくるのが現代なのだ。
なんとも嫌な御時世である。
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_12224339.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_12224339.jpg)
私の長年の座右の銘は「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」である。多少「能」と思われる様なものを持ち合わせてはいるかもしれないが、多くの「能無し」部分に紛れさせながらおとなしくしているのが良いよね、っていうことである。
私はこれで生きてきました。
しかし、このセリフに対する彼女の捉え方を読んで、これではダメなのか?と思えてきた。だって「能ある鷹は爪を隠す」という美徳が充分成立する世の中であればこそ「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」ことに意味があるのだから。
みーんな「能のあるなしを問わず爪を隠している」世の中じゃ意味無いジャン、ということになる。
そこで自分にこう問うわけだ。
自分の「能」を評価してもらえるようしっかり努力しているのか?いざというときのために「爪」や「刀」の手入れはぬかりないか?
自分が「抜き身」になったとき「目立つ馬鹿」ではないと自ら証明できるのか?他人の「鞘」を見て、その中の「本当にいい刀」を見抜く眼力を持っているのか?
恥ずかしながら、答えはNOである。
要は「本当にいい刀」への道は険しい、ということなのだ。
このセリフに呼応するように映画のラストの対決では、三船=三十郎も仲代達矢=室戸半兵衛もなかなか刀を鞘から抜かず、長らく睨み合う。ついに抜かれた二本の刀は一瞬ぎらりと光り、そして究極の仕事をした「本当にいい刀」の方だけが静かに元の鞘に収められるのである。
やっぱり「本当にいい刀」は鞘に入っているのである。
▽総合的な治療が可能な歯科医院です
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最近読んだ映画関連の本で面白かったのは、重田サキネ著「映画の言霊」である。この本は北海道新聞の夕刊に3年ほど連載されていた映画のセリフに関するコラムをまとめた作品である。チョイスされた映画とセリフ、そしてそのセリフからくみ取る人生訓の切り口が、巷に溢れる「名セリフ集」の類とは一線を画し、すこぶる新鮮である。強いてマイナス点をいえば、チョット説教くさすぎるところだと思うが。
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_1222191.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_1222191.jpg)
この本に掲載されたセリフの中に、私のお気に入りのセリフが2つ取り上げられていたので非常にうれしく思った。今回はこれら2つのセリフについての私的考察である。
「人生には目撃者が必要なの」~映画:シャル・ウィ・ダンス? より
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_12221690.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_12221690.jpg)
日本映画の傑作「Shall we ダンス?」のハリウッドリメイク版の中のセリフである。リチャード・ギア扮する夫が社交ダンス&ダンスインストラクターに「恋」をする。それは「日常」=「妻」に対する「非日常」=「浮気」と言えるであろう。この物語が下世話なドロドロした話にならないのは、日常と非日常の存在意義をひっくり返そうとするのではなく、日常に踏みとどまりつつ非日常から得た生命力(生き生きした感情)を日常にフィードバックしていこうとする展開だからだと思う。
日本版では夫(役所広司)の踏みとどまり方が共感を呼ぶが、ハリウッド版では妻(スーザン・サランドン)の踏みとどまらせ方が素晴らしい。日本版では妻の描き方がかなりあっさりしているのだが、妻の存在感を映画の核に据えたハリウッド版の脚色はこの点において出色の出来映えだと思う。夫婦とは何か?結婚とは何なんだ?と改めて考えてしまう状況下で、妻が夫に発する決めゼリフが「人生には目撃者が必要なの」である。
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_12222537.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_12222537.jpg)
「目撃者」とは何か? 独身者である重田サキネ氏の言葉を借りると「感情や思い出を共有する相手」ということになるが、その表現はちょっとキレイすぎる。 原語では確かwitnessだったと思うので、「証人」でも「立会人」でもいいわけだ。私としては「証人」が一番しっくりする。
結婚とは、これからの私の人生で起こる良いことも悪いこともすべてにおいて「コイツが私の証人ですよ」と宣言することなのだと思う。妻(あるいは夫)とは人生すべてを見られてしまう存在ではなく、見守ってくれる存在なのだと思いたい。ガーシュウインの名曲でいえば ”Someone to watch over me”なのだ。
私の寿命が尽きて三途の川を渡り、閻魔大王の前で裁きを受けるとき、弁護側の証人として出廷するのも検察側の証人として証言するのも「ウチのカミさん」なのである。ありがたや、ありがたや。こんなとき証人としてだーれも出てきてくれなかったら、そりゃもう悲しくてつらくて、死んでしまいたくなるはずなのだ。いや、そのときにはもう死んでいるのかぁ・・。
「本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」~映画:椿三十郎 より
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_1222349.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_1222349.jpg)
これは黒澤明の超有名作品の名セリフである(森田芳光監督の2007年リメイクは全く同じ脚本を映画化しているので、当然このセリフも出てくるわけである。何という冒険!とういうか暴挙!?)。迷うことなく敵をばっさばっさと切り倒す三船敏郎=椿三十郎に対して、老奥方=入江たか子が諭すように「あなたはギラギラした抜き身の刀の様。 本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」と言うのである。
重田サキネ氏の現代的捉え方が実におもしろい。彼女曰く、現代人(特に若者)は良くも悪くも「鞘に収まった刀」ばかりなのである、と。その不気味さと抑圧をため込んだ「刀」は、稀に世間に飛び出す「抜き身」に対して過剰な嫉妬とバッシングをぶちまけるのである、と。
「抜き身」と言ったって、三船=三十郎のように凄腕の本物はほとんどおらず、たまたまキレて本音をバリバリ前面に出す奴とか、自己表現がすべてと言わんばかりに吠えまくる奴とか、「目立つ馬鹿」がほとんどなのだ。しかし「ギラギラした本物」と「目立つ馬鹿」との違いなど「鞘に収まった刀」集団には関係ないのであって、お構いなしにどちらもこっぴどく叩かれまくるのが現代なのだ。
なんとも嫌な御時世である。
![コラム・5月号(第19回)/Dr.門脇 繁[ 二期会歯科クリニック・札幌市 ]_c0130091_12224339.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200905/02/91/c0130091_12224339.jpg)
私の長年の座右の銘は「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」である。多少「能」と思われる様なものを持ち合わせてはいるかもしれないが、多くの「能無し」部分に紛れさせながらおとなしくしているのが良いよね、っていうことである。
私はこれで生きてきました。
しかし、このセリフに対する彼女の捉え方を読んで、これではダメなのか?と思えてきた。だって「能ある鷹は爪を隠す」という美徳が充分成立する世の中であればこそ「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」ことに意味があるのだから。
みーんな「能のあるなしを問わず爪を隠している」世の中じゃ意味無いジャン、ということになる。
そこで自分にこう問うわけだ。
自分の「能」を評価してもらえるようしっかり努力しているのか?いざというときのために「爪」や「刀」の手入れはぬかりないか?
自分が「抜き身」になったとき「目立つ馬鹿」ではないと自ら証明できるのか?他人の「鞘」を見て、その中の「本当にいい刀」を見抜く眼力を持っているのか?
恥ずかしながら、答えはNOである。
要は「本当にいい刀」への道は険しい、ということなのだ。
このセリフに呼応するように映画のラストの対決では、三船=三十郎も仲代達矢=室戸半兵衛もなかなか刀を鞘から抜かず、長らく睨み合う。ついに抜かれた二本の刀は一瞬ぎらりと光り、そして究極の仕事をした「本当にいい刀」の方だけが静かに元の鞘に収められるのである。
やっぱり「本当にいい刀」は鞘に入っているのである。
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by nikikai_sapporo
| 2009-05-02 12:26
| Dr.門脇 繁