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歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo
「矯正治療・いまむかし」

 今回は矯正歯科・正木の担当で掲載いたします。

 去る6月21日の日曜日、私どもが所属しております北海道矯正歯科学会(http://www.hos.gr.jp)の50周年記念大会が北海道歯科医師会館で行われ、参加して参りました。

 この学会が創立された1959年に比べますと、現在は矯正治療技術、使用される材料は当時とは比べようもなく進歩し、子供から成人まで幅広い年齢層の患者さんが治療を受けておられます。

 戦後十数年ほどが経過したこの創立当時、歯科医は専ら虫歯治療や抜歯、入れ歯の治療に没頭せざるを得ず、歯並び、咬み合わせに問題を見つけたとしても治療できる歯科医は極僅か、殆どは放置されていたように思われます。

 小学校の検診では今のように歯並び・咬み合わせをチェックされることもありませんでした。時代が少し下りますが60年代前半の高校生時代、隣のクラスに、笑うと口の中にぎらぎらと光って見える金属の金具(全帯冠装置)を入れている男子生徒がおりました。

 何でそういうものを付けているのかが不思議で「きっとどこかが悪いのだろうな」と思っていました。そんな程度の認識で、それが歯を動かす矯正歯科治療とは全く知らなかったのです。全校生徒約1500人の中で矯正装置を入れていたのは彼一人だけだったと思います。

 学園紛争が落ち着きを取り戻しつつあった70年代の大学4年生頃に、矯正歯科学の講義の中であの全帯冠装置を見て、「ああ、そうだっ!彼がやっていたのはこれなんだ」と妙に納得、感心したのを覚えています。

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 1971年、矯正治療システムに革新的変化が起こりました。1871年の金属製バンド(帯冠)の発明以来、ブラケット(ワイヤーを固定する金具)はバンドに溶接しそれを歯科用セメントで歯に固定していました。患者さんにとってこのバンドを歯に合わせる処置が苦痛で時間も大変かかる術者泣かせの作業でした。

 これに代わりブラケットを直接歯の表面に接着しバンドが不要となる技術 (ダイレクトボンディング法)が東京医科歯科大学の三浦不二夫教授(当時)のグループにより開発されたのです。

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 以降その接着材は天然歯牙に限らず金属にも接着できるようになり、世界中の矯正歯科医はその恩恵を享受しています。また歯を並べる際に用いる金属ワイヤーはステンレスが主流でありましたが、80年代に入ると、チタン・ニッケル合金による超弾性ワイヤーの出現により、治療初期より非常に弱い力を持続的に歯に加えることができるようになり、患者さんにとってより快適性が増しました。

 更にブラケットの材質もプラスティック、セラミックと多様化し、治療中にも審美性も求める患者さんに対応できるようになってきました。

 このように矯正治療に用いる材料や治療方法は日々進化し続けてはいますが、術者の洞察力やたゆまない技量の向上が不可欠な事は言うまでもありません。

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# by nikikai_sapporo | 2009-06-29 12:20 | Dr.正木 史洋
【機能と形態】

体重と健康維持のためにスポーツクラブに通ってかれこれ20年になる。食事もそれなりに注意しているためか体重に変化は無いが、体型は 少し変わった。いくら腹筋運動をしても下腹が引っ込まないのだ。13年間飼っていたコーギーが昨年天国に旅立ったので朝夕の散歩をしなくなった。そういうこともあって週末は意識して自宅近郊を歩くことにした。

幸い家の近くから10分ほど行くとすぐ坂道になる。伏見のバラ園や旭山公園、日によっては界川から円山西町を経由して円山山麓を一周する。気が向くと大倉山まで歩く。余力があるときはジョギングしている人の後ろを少し走ってみたりする。けっこうな勾配が続くので平地よりだいぶエネルギーを使い、汗が吹き出てくる。 都心を離れたこのあたりは自然に恵まれ、四季の移ろいがより身近に感じられるのがいい。

趣味とまでは言えないが建築を見るのが好きだ。それは公共の建物でも商業ビルでも個人の住宅でもよくジャンルを問わない。

ウォーキングの経路にはハウスメーカーの建てた住宅以外に自由設計の家も多く目にする。いわゆる豪邸もたくさんあるがそのほとんどは自分の好みに合わない。ずいぶん費用をかけたであろうに、もう少しセンスのある設計をしたらよかったのにとか、よい建築家にめぐり逢えればもっと洗練された家になったはずなのにとか、心の中で勝手に「大きなお世話」をしまくっている。

めったに無いが自分の感性に少しだけ一致する建物もたまにある。それには共通性があって、直線を生かして無駄な装飾が無く大きなガラスの開口部を持ったシンプルなデザインのものだ。縦と横のバランスも重要だ。横の直線を生かしたものが好きだが敷地面積が限られている中でそれを実現するのは難しい。建築家の腕のみせどころでもある。

つまるところ究極の自分の好みはミース・ファン・デル・ローエに行き着く。専門家ではない限り日本ではあまりなじみがないかもしれないが、ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトと並び20世紀モダニズム建築を代表するドイツの建築家だ。ナチス時代のドイツからアメリカに亡命して教鞭をとったのがイリノイ工科大学だった関係で彼の設計したビルはシカゴに多い。

しかしミースといえばニューヨークで唯一の作品となる1958年竣工のシーグラムビルであろう。敷地に広場を大きく取り、2層分のピロティー上に鉄骨とガラスの壁面でシャープに構成された38階のビルはそれ以降の高層ビル建築のモデルとされ、デザインの完成度においては今に至ってもこれを超えるものはないとさえ言われている。

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ミースを語る時にもうひとつ忘れてならないものにファンズワース邸がある。週末用の別荘として1950年にイリノイ州の郊外に建てられたこの建物にはそのシンプルな外観からは窺がうことが難しい人間臭いエピソードが残っているが、それについてはここでは触れない。

やはり地上から床を離してピロティーとして軽やかさを表し、その上には高層のシーグラムビルとは逆に、横のラインを思い切って強調した鉄骨とガラスの構造体が浮かんでいる。何かを付け加えても何かを取り除いても別なものになってしまいそうなシンプルで絶妙なプロポーションが成立している。この写真を初めて見たときは奈良の正倉院を連想した。住む人を峻別する建物と言えるかもしれない。

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ミースの建築コンセプトは“Less is more”だそうだ。「無駄がないほど得るものが多い」、あるいは「省略の美」ということか。逆説的に聞こえるが、まさに言い得て妙ではないか。直線的なシャープさと装飾性を極力取り去ったシンプルなデザインがモダニズム建築の特徴のひとつだが、その無機質さを受け入れられない人もいるだろう。それは人それぞれの好みの問題なので仕方がない。

しかしすでに半世紀以上の年月を経た今にいたっても何ら古さを感じさせず、「モダニズム」の文字通りわれわれに現代的な感覚を与えているのは、人の感性に訴える何らかの不偏性を秘めているからではないのだろうか。

外観と機能を調和させて依頼主に100%の満足を与えてくれるのが真に優れた建築家とするなら、安藤忠雄の初期の設計で若き時代の代表作といえる「住吉の長屋」はどうか。3軒に連なった木造長屋を切り離したその真ん中に、コンクリート打ち放し住宅がある。古い住宅密集地にあって異形とも言うべきコンクリートの建物は際立って目立ち、住む人の(あるいは設計者の)強い主張が感じられる。

わずか14坪の敷地に建つ間口3.3m、奥行き14.1mの細長い建物の中央に吹き抜けの中庭があり、居室はこの庭によって前後に分断されている。意外ともいうべき大胆な発想と独創性が評価されたのか1979年に日本建築学会賞を受賞した。

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吹き抜けの中庭から十分な採光が確保され、四方をコンクリートの壁に囲まれているので隣家からの目線も遮られプライベートも確保される。しかし2階や前後の部屋への往復には必ずこの中庭を通らなければならないために、いったん戸外に出ざるを得ない構造になっているのだ。雨の日は傘が必要だろうし、靴もはき替えなくて はならない。

極度に限られた条件の中で、自然を感じられる居住空間を創るという建築家の確たるコンセプトは非凡であるとしても、こうなると家に合わせて生活する住み手の努力と忍耐が必要になる。もちろん、ほとんどの建築家は限られた予算や敷地の条件下で、クライアントの要望を最大限取り入れて期待以上の提案をするものである。

機能と形態については歯科の分野でも常に不可分な関係がある。咀嚼に際しては、まず前歯で食物を確保し次に小臼歯で細断し大臼歯でさらに細かく噛み砕く。その際食物が上下の歯列の間にうまく位置するよう舌が絶妙な動きで協調する。上下それぞれの歯はその働きに応じた形をしている。

人工的に作った歯冠や義歯を用いて失われた形態を回復するときには、残った歯列やその人固有の顎運動にぴったり調和するように100分の1ミリ単位で調整する必要がある。治療した歯を意識することなく自然に食べたり話したりできることが治療成功の条件になる。

しかし時には我々がよしとした治療でも患者さんに必ずしも満足されないことがある。咬合のバランスに問題が残っていることもあるが、よく聞いてみると口元のしわを目立たないようにしたいとか、歯の色をもっと白くしたいとか主に見た感じのイメージの改善を訴えることが多い。

そういう時はこちらが不自然とは思っていても、機能を阻害しない範囲で患者さんの希望を最大限尊重する。患者さんに喜んでもらえるのが一番と思うからだ。

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# by nikikai_sapporo | 2009-05-24 12:21
~「映画の言霊」を読んで~

最近読んだ映画関連の本で面白かったのは、重田サキネ著「映画の言霊」である。この本は北海道新聞の夕刊に3年ほど連載されていた映画のセリフに関するコラムをまとめた作品である。チョイスされた映画とセリフ、そしてそのセリフからくみ取る人生訓の切り口が、巷に溢れる「名セリフ集」の類とは一線を画し、すこぶる新鮮である。強いてマイナス点をいえば、チョット説教くさすぎるところだと思うが。

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この本に掲載されたセリフの中に、私のお気に入りのセリフが2つ取り上げられていたので非常にうれしく思った。今回はこれら2つのセリフについての私的考察である。

*****

「人生には目撃者が必要なの」~映画:シャル・ウィ・ダンス? より

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日本映画の傑作「Shall we ダンス?」のハリウッドリメイク版の中のセリフである。リチャード・ギア扮する夫が社交ダンス&ダンスインストラクターに「恋」をする。それは「日常」=「妻」に対する「非日常」=「浮気」と言えるであろう。この物語が下世話なドロドロした話にならないのは、日常と非日常の存在意義をひっくり返そうとするのではなく、日常に踏みとどまりつつ非日常から得た生命力(生き生きした感情)を日常にフィードバックしていこうとする展開だからだと思う。

日本版では夫(役所広司)の踏みとどまり方が共感を呼ぶが、ハリウッド版では妻(スーザン・サランドン)の踏みとどまらせ方が素晴らしい。日本版では妻の描き方がかなりあっさりしているのだが、妻の存在感を映画の核に据えたハリウッド版の脚色はこの点において出色の出来映えだと思う。夫婦とは何か?結婚とは何なんだ?と改めて考えてしまう状況下で、妻が夫に発する決めゼリフが「人生には目撃者が必要なの」である。

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「目撃者」とは何か? 独身者である重田サキネ氏の言葉を借りると「感情や思い出を共有する相手」ということになるが、その表現はちょっとキレイすぎる。 原語では確かwitnessだったと思うので、「証人」でも「立会人」でもいいわけだ。私としては「証人」が一番しっくりする。

結婚とは、これからの私の人生で起こる良いことも悪いこともすべてにおいて「コイツが私の証人ですよ」と宣言することなのだと思う。妻(あるいは夫)とは人生すべてを見られてしまう存在ではなく、見守ってくれる存在なのだと思いたい。ガーシュウインの名曲でいえば ”Someone to watch over me”なのだ。

私の寿命が尽きて三途の川を渡り、閻魔大王の前で裁きを受けるとき、弁護側の証人として出廷するのも検察側の証人として証言するのも「ウチのカミさん」なのである。ありがたや、ありがたや。こんなとき証人としてだーれも出てきてくれなかったら、そりゃもう悲しくてつらくて、死んでしまいたくなるはずなのだ。いや、そのときにはもう死んでいるのかぁ・・。

*****

「本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」~映画:椿三十郎 より

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これは黒澤明の超有名作品の名セリフである(森田芳光監督の2007年リメイクは全く同じ脚本を映画化しているので、当然このセリフも出てくるわけである。何という冒険!とういうか暴挙!?)。迷うことなく敵をばっさばっさと切り倒す三船敏郎=椿三十郎に対して、老奥方=入江たか子が諭すように「あなたはギラギラした抜き身の刀の様。 本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」と言うのである。

重田サキネ氏の現代的捉え方が実におもしろい。彼女曰く、現代人(特に若者)は良くも悪くも「鞘に収まった刀」ばかりなのである、と。その不気味さと抑圧をため込んだ「刀」は、稀に世間に飛び出す「抜き身」に対して過剰な嫉妬とバッシングをぶちまけるのである、と。

「抜き身」と言ったって、三船=三十郎のように凄腕の本物はほとんどおらず、たまたまキレて本音をバリバリ前面に出す奴とか、自己表現がすべてと言わんばかりに吠えまくる奴とか、「目立つ馬鹿」がほとんどなのだ。しかし「ギラギラした本物」と「目立つ馬鹿」との違いなど「鞘に収まった刀」集団には関係ないのであって、お構いなしにどちらもこっぴどく叩かれまくるのが現代なのだ。

なんとも嫌な御時世である。

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私の長年の座右の銘は「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」である。多少「能」と思われる様なものを持ち合わせてはいるかもしれないが、多くの「能無し」部分に紛れさせながらおとなしくしているのが良いよね、っていうことである。

私はこれで生きてきました。

しかし、このセリフに対する彼女の捉え方を読んで、これではダメなのか?と思えてきた。だって「能ある鷹は爪を隠す」という美徳が充分成立する世の中であればこそ「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」ことに意味があるのだから。
みーんな「能のあるなしを問わず爪を隠している」世の中じゃ意味無いジャン、ということになる。

そこで自分にこう問うわけだ。

自分の「能」を評価してもらえるようしっかり努力しているのか?いざというときのために「爪」や「刀」の手入れはぬかりないか?
自分が「抜き身」になったとき「目立つ馬鹿」ではないと自ら証明できるのか?他人の「鞘」を見て、その中の「本当にいい刀」を見抜く眼力を持っているのか? 

恥ずかしながら、答えはNOである。
要は「本当にいい刀」への道は険しい、ということなのだ。

このセリフに呼応するように映画のラストの対決では、三船=三十郎も仲代達矢=室戸半兵衛もなかなか刀を鞘から抜かず、長らく睨み合う。ついに抜かれた二本の刀は一瞬ぎらりと光り、そして究極の仕事をした「本当にいい刀」の方だけが静かに元の鞘に収められるのである。

やっぱり「本当にいい刀」は鞘に入っているのである。

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# by nikikai_sapporo | 2009-05-02 12:26 | Dr.門脇 繁
【患者さんの足あと】

 30年以上も診療を続けるといろいろな患者さんに出会います。
 未だおしめのとれない幼児から青年まで老若男女、初めてお会いするときはいつも緊張と新鮮なときめきを感じます。以来、今日まで数十年も経過すると、患者さんにもいろいろな変化が訪れるのを目の当たりにします。それは悲喜交々、久しぶりに拝見した時はつい昔話に花が咲きます。

 今回は私のこころに足跡を残した、思い出に残る患者さんのお話です。

 A氏と初めてお会いしたのは彼が大学生の時でした。当時から音楽活動を盛んにしていて、彼が歌っているデモテープを「先生聞いてみて」と、何度か頂いたことがありました。それはギターの弾き語り風で素朴だけれどこころにしみる素敵な歌でした。

 それから十年ほど経ち、たまたまテレビで彼を見かけるようになりました。どうやら歌の世界は卒業して別な道を見つけたようです。ああ、彼も有名人になったなぁ・・と思うまもなくいつの間にか、その数年後は超ビックなタレントになってしまいました。

 思えば確かに彼は個性的ではありましたが人当たりが良く、多くの人に愛される芸能人タイプの男でした。最近では毎日のように雑誌で話題になったり、どこかのチャンネルに顔を出しているのをよく見かけます。しかも巷の噂では今や彼はかなりの資産家であるとのことです。有名人すぎて彼とはもうお会いすることはありませんが、彼の前歯を見かけるたびに嬉しく思い、陰ながら彼の健勝を祈念しています。

 B君と初めて出会ったのは、彼がまだ泣き虫の小さな子供だった頃でした。

 以来、十数年欠かさずに定期健診にも来ていただき、いつの間にか健康でたくましい好青年になりました。やがて彼は私の卒業した大学に進学し、6年間勉学に励み歯科医師になりました。彼が卒業して数年後、突然彼からメールが来ました。届いた私のメールアドレスは、今はあまり使っていないアドレスでした。思えばそれは小生が母校で教壇に立って学生たちに講義したとき、質問を受けるために教えたものでした。彼が授業での資料を今まで保存していてくれたことに驚きを覚えました。

 メールの内容は『現在東京の診療所で勤務医をしていますが、親の転勤で札幌に行く子供の患者さんを紹介しますのでよろしく』ということでした。現在は私の患者さんになっている紹介された親子のお話を聞くと「B君は信頼できる素敵な先生」だった そうです。

 ちょっと嬉しくなりました。

 その後、メールのやりとりが何度かあり、「帰札のときは一緒に飲 み会でもしましょうね」、ということになりました。歯科医師をしていて良かったとしみじみ思う瞬間です。

 Cさんは・・・
思い出すと・・泪がこぼれそうになるのでまたの機会にお話ししましょう。

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# by nikikai_sapporo | 2009-04-12 09:02
【続・カマキリの飼育の記憶】

去年の春のある真夜中、私は近所のレンタカーの駐車場にいた。整然と駐車して ある車の陰でしゃがみこみ、懐中電灯で照らし、枝きりハサミとビニール袋を片 手にうろうろしていた。傍で見たらまちがいなく不審者だっただろう。しかし、北大以外に近場でアリマキが取れるのは3箇所しかなかったのである。一つはセイコーマートの裏のビルの陰、一つは小学校の中、もう一つがその駐車場である。

アリマキはどこにでもいるだろうと高をくくっていたが、いざ探すとなるとなかなかいなかった。草や小さな木の葉の裏側や、枝など注意深く見ても見つからないのである。いたとしても、人の庭だったり、小学校だったりで、捕ってもよさそうな場所ではないのである。

何度と無くアリマキ探しをしているうちに、簡単に見つける方法に気がついた。
アリを探すのである。アリマキとアリは共生関係にある。アリマキはアリにお尻を刺激されると、アリの好物の甘い液をお尻から出しアリに与える。アリは、アリマキの天敵(てんとう虫など)からアリマキを守るのである。アリマキはアリの巣の近くに大量発生するようになっているのかもしれない。葉の裏の動かないアリマキよりも、枝をチョコマカ動くアリの方が簡単に見つけることができた。事実、アリが登っている木や草にはかなりの確率でアリマキがいたのである。

こうして、15匹いたカマキリの餌は安定して確保できるようになった。アリマキがたくさん付いた枝を湿らせたティッシュをオアシスにして、水槽にセットした。5日間ぐらいは餌に困らなかった。このときは15匹とも1つの水槽で飼っていた。1匹ずつペットボトルにいれて飼うことも考えたが、そこまで面倒を見ることはできなかった。以前のように弱肉強食の環境が構築された。餌が豊富にあるため、共食いは無いだろうと思っていたが間違いだった。卵から孵ったばかりの1令幼虫でさえ共食いしたのである。数えてみると何匹か少ない。水槽の底を良く見ると、カマキリの体の一部が落ちていた。

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そうしているうちに無事2令幼虫に脱皮できたものは10匹ほどになっていた。カマキリは1度脱皮するごとに1.5倍ぐらいに大きくなる。早めに脱皮できたカマキリは、していないカマキリより大きいため、共食いされる確率は少ないが、反対に脱皮できないでいたカマキリは餌になりやすいのである。

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カマキリの幼虫は自分より小さい相手しか餌にしない。大きい相手に対しては、ゴキブリのように早足で逃げたり、両手をそろえて前に伸ばし、情けない格好で動かなくなったりする。大きい相手は敵なのである。しかし、いざ成虫になるとその性格は一変する。少しぐらい大きい相手でも捕らえようとする。大きすぎる相手にも逃げることはなく、鎌を振り上げ、羽を広げて威嚇する。そう、よく写真で見るような勇敢なカマキリである。

2令幼虫ぐらいの大きさでは主食はまだアリマキだったが、ある日アリと対決させてみた。そのときのアリは、カマキリよりも小さかったが、顎は大きかった。噛まれたらカマキリでも致命傷を負うことは間違いなかった。しかし、カマキリはアリを横から挟み込み、首を食いちぎり難なく食してしまった。内心ハラハラしながら見ていたが、カマキリの勝利に歓喜し、その本能にも関心した。

5月になった。共食いは相変わらず起こっていたが、自然に死んでいく個体もあり、3例幼虫になる頃には5匹になっていた。体も大きくなってしまい、アリマキは餌としては小さすぎた。その頃の私はビニール袋を片手に、外灯、自動販売機、コンビニの窓へと夜な夜な出かけていた。

この頃の餌はもっぱらモンカゲロウだった。大きさがちょうどよかったのと、そこら中にいて捕まえやすかったからである。モンカゲロウは、幼虫時代は水中で過ごし、羽の生えた亜成虫に脱皮をすると、成虫そっくりの姿で飛ぶことができるようになる。それから1日程度で、もう一度脱皮をして成虫になり、何も食べずに数時間~数日で命を終える昆虫である。“カゲロウの命”をさらに短くしてしまっていたのであった。

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カマキリは2~3週間ぐらいで脱皮を繰り返していた。4令幼虫ぐらいになると、体長3センチぐらいになり、色々な虫が餌の対象となった。この頃から、子供たちとの餌捕りが始まった。8歳と4歳の息子たちはノリノリだった。虫を入れるビンと虫網を持っての夜の虫捕り。楽しくないはずがない。いい大人が夜中に一人で虫を捕まえている姿は、今までしたことはあっても見たことは無かった。それはいいとしても、コンビニの窓の向こうには本のコーナーがあり、立ち読みをしている人がいっぱいいるのである。その人たちの目の前で真剣に蛾やカゲロウを捕まえるのは、かなりの精神力がいるのであった。子供と一緒ならそんなに不審な感じはしないだろうと思っていたが、3人とも虫捕りに興奮し、大騒ぎしていた様子は、おかしな親子だったかもしれない。

この頃のカマキリの大好物はクサカゲロウであった。全体が緑色で体が柔らかく、草のような強烈なにおいのするカゲロウである。良く動くのでカマキリの目に留まりやすく、水槽に入れた瞬間に捕食されていたため、子供たちにも人気の種類だった。自分が捕ってきた虫をカマキリが食べる。その一部始終がたまらない。寝る時間も遅くなることもしばしばで、よく妻に怒られたものだった。

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7月になり残り2匹となったカマキリは、残すところあと2回の脱皮で成虫になるところであった。このときになって初めて1匹ずつ別の水槽で飼うことにした。ところが、そのうちの1匹はすぐに謎の死を遂げてしまった。これで最後の1匹となってしまった。息子は最後に生き残ったこのカマキリを“ラッキー”と名づけた。

5センチ程度にまで成長したラッキーには、クサカゲロウなどはほんのオヤツにしかならなくなっていた。たまに捕まえるバッタやトンボは大きさも丁度よかったが、安定して確保することが難しかった。替わりに大活躍したのがトビケラだった。体長2.5センチほどで、丁度いい大きさであった。しかも、私が住んでいるマンションの駐車場の電灯に沢山集まっていたのである。

トビケラは蝶や蛾によく似ているが、鱗粉がないため食べ残しがそれほど汚くなかった。良く調べてみると、幼虫時代は水中で過ごすらしい。振り返ってみると、カゲロウといいトビケラといい、幼虫時代に水中で過ごす昆虫のお世話になっていた。そういえば私のマンションのすぐ横には創成川が流れている。そこから発生しているとすれば、札幌の自然もまだ少し残っているではないかと、嬉しくなった。

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7センチ程度の大きさになっていたラッキーは、最後の脱皮を前にしていた。大きさからもメスに間違いなかった。やはり最後に残ったのは今回もメスだった。そのラッキーが最後の脱皮を始めた。8月6日の夜である。

大変なことになった。ラッキーが水槽の蓋の一部に頭がぶつかり、完全に脱皮ができないでいた。頭と体は抜けたが、鎌の前足が抜けない。その鎌の皮を脱ごうとかなり踏ん張ったのだろう、中足と後ろ足は折れて曲がり、胸と腹の関節も90度近く曲がっていた。羽も伸ばすことができずにいた。

緊急手術である。ラッキーを水槽から取り出し、ピンセットとハサミで皮を取っていく。しかし、全ての皮はとることはできなかった。時間が経ちすぎていたのか脱皮できた部分は大きくなったが、殻の中にある部分は小さいまま。このままでは、変形したままになる。私は、その鎌を割り箸に掛け、ラッキーをぶら下げた。曲がった腰と羽を伸ばすことを目的にした整復である。2時間近く様子を見た。羽は伸びたが、腰も足も曲がったままであった。自分では満足に移動することもできなかった。もちろん、自分で餌をとることもできない。悲惨な最期の脱皮となった。

全然ラッキーではなかった。

さらに、もっと大変なことが重なった。妻が、出産のため入院することになっていたのである。入院の準備をする妻そっちのけで、息子たちとカマキリの処置に奮闘していた私。「ラッキーが難産なんだ!」と不吉なことを言ってしまった私。その後に待ちかまえる事態を予想出来ていたら...。

3人目の長女は翌日に生まれた。安産だった。少しだけ私の刑は軽くなった。

ラッキーはすぐには死ななかった。そう、私の介護おかげで。毎日、水や牛乳を飲ませ、餌には豚肉や鶏肉を口元に運んでやった。体は動けなくても首から上は動いた。水は飲むし、肉も食べた。次第に体力も付いてきて少し移動できるほどになった。しかし鎌は使えない。生きた餌は捕らえる事はできなかった。成虫となって、人間をも威嚇し、果敢に餌をとる姿を楽しみにしていたが、叶わなかった。最後の方は、水も肉も口に出来ない状態になり、段々と弱っていった。そして、約1ヶ月後、ラッキーは息絶えた。子供たちもとても悲しんでいた。

最後のお別れに、成長の記録としてとっておいた抜け殻と一緒に記念撮影をした。

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ラッキーの亡骸は、死んだ虫たちを葬っている秘密の場所へ埋める予定だった。写真を撮り終わり、外へ埋めに行く準備をしているときだった。水槽の上に置いておいたラッキーがいない。子供たちに聞いても知らないという。犯人は飼い犬だった。食べられてしまった。今まで色々な虫を食べていた報いだろうか。それにしても、劇的に食物連鎖をまっとうした、天晴れな最期だった。

現在、ラッキーがいなくなってから半年が過ぎた。子供たちにラッキーのことを聞いてみた。一番楽しかったのは、夜にみんなで虫を捕ったことだという。捕ってきた虫をラッキーが捕らえて食べるところはすごくカッコよかったという。「そうかぁー」と返事をしたが、私も全く同じ感想だった。

子供達が言った。「また、カマキリ飼いたいなぁ」

それは、私が言おうとした言葉だった。

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# by nikikai_sapporo | 2009-03-12 09:56 | Dr.佐藤 禎