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歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo

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「師匠と呼べる存在」 門脇 繁

 「何事も先達はあらまほしきものなり」と書いたのは吉田兼好であるが、仕事にしても趣味・道楽にしても、「師匠」と呼べる存在は誠にありがたいものである。興味の湧いた分野に首を突っ込むのはたやすいけれど、その道の方向性や適切なリテラシーを伝授してくれる存在を見つけることはかなり難しいことである。「よしよし、私が君の師匠になってあげよう。」などと言って近づいてくる奴は、ほとんどが紛い物である。師匠とは「本日より弟子入りさせて頂きます。宜しくお願いします。」などと改まって筋を通さなければならない相手とは限らず、その人の言動や了見、嗜好や行動を見聞きして、自分が腑に落ち、膝を打ち、合点する、そんな存在(人物)を自分自身で「師匠」と認定するのである。
 私の場合、仕事の師匠に選んだ人は、最も「分かり難い」講義をする教授だった。一方、趣味・道楽の分野(映画・落語・演劇・ジャズ etc….)では、最も「合点のいく」話をしてくれる人たちを(勝手に)師匠と決めたのであった。演劇・芝居の師匠は高校時代の同級生で、ジャズの師匠は大学時代の同級生である。落語については周りに詳しい人がいなかったので、人間国宝・柳家小三治を師匠と決めた。まあ、自分が噺家になるわけじゃないので、師匠と呼ぶのはなんともおこがましい話だが、彼の了見に勝手に心酔してるわけである。
 じゃあ、映画はどうか? 私が映画好きになった要因の一つは、幼少の頃に育った場所が映画館に囲まれた環境であったことである。しかしこの環境要因だけでは、還暦をむかえようとしている現在までの長きにわたり映画好きが持続するとは思えない。やはり決定的な影響を与えてくれた師匠と呼べる人物が存在したのである。

それは誰かと問われれば、迷わずこう言うであろう。

それは、淀川長治(以下、淀長さん)である。


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       *****

 淀長さんとの出会いはもちろん「日曜洋画劇場」の解説である。言わずと知れた「さよなら、さよなら、さよなら」のフレーズ、名作のエッセンスを短時間で語る情熱、愚作でも何か美点を抽出して語る姿勢、ものまねしやすい語り口(後に小松政夫のものまね芸が一人歩きしているが)などに魅了されたものである。
 しかし彼の話で最も印象に残っているのはラジオ番組である。『淀川長治ラジオ名画劇場』(昭和48年10月〜昭和56年3月放送)はHBCラジオ月曜日の20:00からの1時間番組だったと記憶している。私が中学生の頃はほぼ毎週聴いていた。番組の中で今でも鮮烈に憶えている解説が、ヴィクトリオ・デ・シーカ監督イタリア映画「ひまわり」である。


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<映画のあらすじ>
イタリアの田舎で結婚し、幸せに暮らし始めた男と女。男はマルチェロ・マストロヤンニ、女はソフィア・ローレン。だが、第二次世界大戦が勃発し、男はロシア戦線(当時のソ連)に送られてしまう。やがて戦争は終わりを迎えるが、戦地で消息を絶って戻らない男を探すため、女はロシアへと旅立つ。そこで女が見たものは、若きロシア娘と新たな家庭を築いている男の姿だった。男と言葉を交わすことなくロシアから戻る傷心の女。数年後、男は女を訪ねてイタリアへ戻る。

ここからのシーンの解説が心に残っている。少々詳しく書くと・・・

その晩は嵐の夜、街は停電中。明かりの消えた女のアパートを訪ねる男。「老けた顔が見えなくてちょうど良いわよ。」と言って迎え入れる女。戦地で瀕死となった自分を助けてくれた娘と暮らし始め、子供までもうけた経緯を説明し、許しを請い、また昔のように二人でやり直そうと提案する男。最初は男の身勝手な行動をなじっていたが、少しずつ昔の感情が甦り、心が揺らぎ始める女。突然、隣室からの赤ん坊の泣き声、とほぼ同時に停電が解消し部屋がすっかり明るくなる。女にも新しい人生が始まっていたのだ。これが現実。もう引き返せないのが、現実。その後、映画はセリフ無し。二人の表情とヘンリー・マンシーニによるテーマ曲によって、映画史上に残る「駅の別れのラストシーン」へのなだれ込んでいく。

(私の記憶では)淀長さんは「アパート内の明かりの変化(暗闇→ろうそくの炎→部屋の通常の照明)」で「男と女の心の揺らぎ」を演出している、と解説し、監督の力量を褒めちぎっていた。そうかぁ、そうやって映画を読み解くのか!単に筋を追って観ているだけじゃ、監督の意図や表現手法は判らないんだ!映画って、凄いんだなぁ!と、心底感動したのである。


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 実は、この時点で私は映画「ひまわり」を観ていない。しかし淀長さんの解説を聞いたときには、すでに映像や音楽(このテーマ曲は有名だったから知っていたかもしれない)が私の頭の中に確かなイメージとして存在していた。
 この解説をラジオで聴いたのは、私が中学二年生の時(昭和47年初夏)であった。ちょうどそのころ私は慢性腎炎を発症し、北大病院に一ヶ月半ほど入院していた。病棟のベッドでイヤホンをつけて布団を被って、この映画の解説を聴いていたのである。映画「ひまわり」を初めて観たのは、それから半年後、中学二年の冬(昭和47年年末)のことであった。私の映画好きはこの頃から加速度を増し、翌年から自分でその年の映画ベスト10を決め始めた。ちなみに昭和48年に劇場で観た映画本数は92本。おいおい、中学三年生、高校受験だろうが!私が私の親の立場だったら心配するわい。

      *****

 淀長さんは数々の名言を残している。これらはネットで検索すればゴッソリ出てくるはずだ。なかでも私が気にっている言葉は「映画館は人間勉強の一番の教室である。」要は「映画が学校」って事である。これはものすごく実感する。これまで学校での授業や講義で習ったことは、映画館で映画を通じて学んだことに比べれば微々たるものだと思っている。今年の6月にはスガイディノス=札幌劇場が閉館になった。私はまだ卒業したくないのに、「学校」の方が閉校になったわけである。また、札幌の映画事情が一段と悪くなったのは、残念至極。


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      *****

 淀長さんの生前最後の言葉は、病床に付き添っていた姪御さんへの一言「もっと映画を観なさい。」だったとか。姪御さんに残した言葉ではあるけれど、明らかに全国にいる私のような映画好き達、つまり「自分の弟子たち」への遺言であろう。淀長さんは「私が薦める名作○○本を観れば、あとはどうでもいい。」などとは決して言わない人であったし、「自分の好みに合った作品や監督に巡り会うためには、ある程度の本数を観ていく必要がある。」「古い名作を観るのも大切だが、少なくとも月に二本は新作を観るべきである。それは映画は時代を映す鏡であり、現代を生きる我々にとって今の社会を勉強するためには新しい映画を観る必要があるからだ。」という了見の人であった。

師匠の言葉は重いのである。

私は今も、そしてこれからも、これらの師匠の言葉を胸に映画を見続けるわけである。

心を込めて、師匠に敬礼!

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by nikikai_sapporo | 2019-10-01 00:20 | Dr.門脇 繁