コラム・第6回 / Dr.佐藤 禎 [二期会歯科クリニック]
2008年 05月 21日
【カマキリ飼育の記憶】
これは今から23年前のことである。札幌生まれ札幌育ちの私は、高校1年の夏、鳥取県の某高校へ転校した。米子は札幌に比べてとても田舎で、ほとんどの店が午後6時には閉店し、24時間ストアーやコンビニは存在しなかった。マクドナルドもなかった。何より方言が独特で、関西弁とも九州弁とも山陽地方の方言とも異なっていた。濁点が多く、一言でいえばかわいくない感じの方言だった。どんなにかわいいと友人が騒いでいる女子でも、かわいいと思えなかったほどであった。しかし、高校卒業まじかには、方言にも慣れて女子もかわいく思えてきたが、時すでに遅しであった。
そんな私は、全く女に縁も無く、ただハンドボールにのめり込んでいた。インターハイを目指して、授業中もハンドボールのフォーメーションを考えているほどであった。部活の最初に5キロのランニングがあり、部活は日没まで2時間ほど行っていたが、そのあと自主的にさらに5キロのランニングをこなし帰路についていた。
ほとんど部活と体育の授業が楽しみだったあの時代に、もうひとつだけ、ひそかな楽しみがあった。
それは、昆虫である。
鳥取県には北海道にはいない昆虫がたくさんいた。おんぶバッタもそのひとつ。バッタはトノサマバッタが北海道では一番大きく、憧れのバッタだった。しかし、おんぶバッタはその2倍くらい大きく感動した。また、北海道ではアブラゼミとエゾゼミが2極をなす大きなセミであるが、鳥取のクマゼミの大きさには気絶しそうなインパクトがあった。
ある夏の日、オオカマキリのメスが私の前に現れた。図鑑で見た憧れのカマキリ。日本最大のカマキリ。円山動物園の昆虫館で見るよりデカかった。捕まえようにもカマを振り上げ、羽を広げ、威嚇されたら手がでなかった。1時間ほど見とれていた。捕まえ方がわからなかった。無理につかむと殺してしまいそうで手がでなかった。そのうちにそのカマキリは飛んでいった。ただ見送っていた。
そして冬が来た。鳥取の冬は雪がほとんど降らない。北海道育ちの私にとっては、冬が来る前に春が来る感覚で、消化不良の冬である。そんな冬のある日、小さな木の枝にオオカマキリの卵を見つけた。図鑑で何度も見たあのハート型の卵胞。見つけたときは有頂天であった。枝ごと虫かごの中に入れた。写真で見るような200匹もの幼虫が、垂れるように孵化してくるのを楽しみにしていた。しかし3月になっても、暖かくなっても孵化しない。もう卵は死んだのだと思い、虫かごの外に出し、本の間に挟んでオブジェとして飾っていた。3月は、北海道の感覚ではもう初夏であったが、鳥取では春になったばかりであった。
カマキリの孵化は4月初旬ある日突然始まった。学校から帰って、自分の部屋に入ると、床じゅうに小さな虫が動いていた。体長1cmほどの幼虫である。幼虫と言っても、羽がないだけで見るからに立派なカマキリの形態をしていた。本物の生まれたてのカマキリを見たのは初めてで、うれしくて、たのしくて、部屋中に散らばった約200匹のカマキリはそのままにして、カマキリたちと戯れていた。しばらくして見慣れてくると、やたらに多いカマキリの処分に困った。もちろん殺すわけにはいかない。憧れのカマキリである。まず、全てのカマキリの幼虫を摘まずに手に乗せて虫かごに入れた。ほぼ全部を捕まえるのには1時間ほどかかった。虫かごいっぱいの幼虫を見て、こんなに飼えないと思った。「吉兆」と同じく、もったいないと思ったが、10匹を残しほとんどは隣の空き地に逃がした。
次の日はカマキリの餌を探しに行った。カマキリは自分より大きい相手は餌としない。小さなカマで捕まえられる大きさの虫でなくてはならない。しかし、この時期にバッタは孵化していない。ショウジョウバエも捕まえられなかった。何にも餌は見つからなかった。外はまだ寒すぎた。逃がしたカマキリをかわいそうと思い探したが、1匹も見つからなかった。仕方がないので、そのまま水だけを与えていた。霧吹きの水滴を飲むカマキリはかわいかった。私があげたものを口にする姿が愛らしかった。
3、4日するとカマキリは9匹に減っていた。バラバラになったカマキリが虫かごの底に転がっていた。共食いしたのである。私は、1匹ずつ分離して飼うことも考えたが、餌がない以上仕方がない。心は痛んだが、共食いさせることで、最強のカマキリが残るのではないかと考えた。
どんな壮絶な環境であったかは知る由もないが、すぐに最後の1匹になった。最後の1匹は、後からわかったが、メスだった。虫の世界も、人間の世界もメスは強いのである。メスが強いといえば、私の妻も…やはり止めておこう。
最後の1匹になっても、外に虫はいなかった。餌がなかった。生肉を糸につけて揺らしたりもしたが、上手くいかない。口のそばに肉を持っていってもほんの少ししか口にしない。このままでは死んでしまう。私は究極の手段に出た。指のサカムケから出た血液を飲ませてみたのである。すると、喉が渇いていたのかとても美味しそうに、初めて水を飲んでいたときと同じように愛らしく飲むのであった。外に虫が出てくるようになるまでは、この状態が続いた。
そうしているうちに、さまざまな虫が見つかる季節に突入した。色々捕まえてきて試した。バッタは美味しいらしい。ダンゴ虫などの殻のかたい虫や甲虫は苦手、蝶や蛾は食べ残しが汚い、ゴキブリを食べている姿は、見ているこっちが気持ち悪い。色々なことがわかり、結局バッタを主食にすることにした。
室内で飼っているので、風は吹いていないのに、カマキリは獲物に近づいていくとき、風に揺らされているように体を左右に振りながら前進する。動いているものに顔だけを向け、カマの前足をゆっくりと獲物の方へ動かして歩いていく。獲物に近づくとカマの前足は正中にそろえ、後ろ足だけで体をユラユラとさせながらさらに近づく。そして、電光石火の勢いで両方のカマで獲物を捕らえるのである。決して獲物の腹からは食いつかない。必ず、首や頭から噛り付くのである。獲物は一巻の終わりである。獲物も必死にもがくが、カマは決して離してはくれないのである。
私は毎日、学校帰りに1匹の獲物を捕らえるのが日課になっていた。カマキリの大きさに合わせた獲物を捕まえることはとても楽しかった。血を分けた彼女も最後の脱皮を無事に終えた。カマキリは9回の脱皮をして成虫になる。最後の脱皮で羽が背中に生えるのである。立派なメスのオオカマキリに成長した。今まで脱いだ殻は記念にとってあった。脱皮をするたびに大きくなる。すごい変化であった。
昆虫には完全変態と不完全変態の2つの成長の仕方がある。完全変態とは、幼虫と成虫の形態がまったく違い、蛹になり成虫になるものである。たとえば、カブトムシや、蝶がそうであり、幼虫の時期は芋虫のような形態をしていて、成虫のときとは食べ物も形態も全く異なる。それと対照的に、不完全変態は幼虫のときも成虫のときとほとんど変わらない形態や摂食様式をとる。バッタやゴキブリがその仲間にあたる。トンボも蛹にはならないが、不完全変態の一種で半変態という分類に属する。カマキリは不完全変態である。
私のカマキリも立派な成虫になったが、結婚相手がいなかった。成虫になる時期も外の時期とはずれていたのである。かわいそうにも成虫になるのが早すぎたのである。私は彼女を逃がすことにした。最後ぐらいは自然の中で、自由にさせてあげたかった。断腸の思いで野原に放した。外の若いカマキリには、いろんな意味で彼女は「カマキリ夫人」だったのかもしれない。オスの小さなカマキリは餌食になったことだろう。一生伴侶にめぐり合うこともなかったかもしれない。
そんな彼女には申し訳ないが、私は結婚し、今は3人目の子供が生まれようとしている。小学2年生になる長男の友達から「本州から送られてきたカマキリの卵が孵化した」と連絡があった。子供よりも私が乗り気でもらいにいった。15匹もらった。子供も私も、有頂天であった。ただ、そのときに駐車違反となり1万5千円の罰金が科せられ、カマキリ1匹は千円の値がついた。
現在、アブラムシを餌にしているが、妻からは「観葉植物にアブラムシがつかないように」とプレッシャーをかけられつつ、子供よりも私の方が真剣に飼育している。オオカマキリは札幌にはいない種なので、成虫になっても鳥取時代のように逃がすことは出来ない。しかし、そんな心配が出来るように成虫までしっかりと飼育して、子供と一緒に楽しい体験をしてみたいと思うこのごろである。
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これは今から23年前のことである。札幌生まれ札幌育ちの私は、高校1年の夏、鳥取県の某高校へ転校した。米子は札幌に比べてとても田舎で、ほとんどの店が午後6時には閉店し、24時間ストアーやコンビニは存在しなかった。マクドナルドもなかった。何より方言が独特で、関西弁とも九州弁とも山陽地方の方言とも異なっていた。濁点が多く、一言でいえばかわいくない感じの方言だった。どんなにかわいいと友人が騒いでいる女子でも、かわいいと思えなかったほどであった。しかし、高校卒業まじかには、方言にも慣れて女子もかわいく思えてきたが、時すでに遅しであった。
そんな私は、全く女に縁も無く、ただハンドボールにのめり込んでいた。インターハイを目指して、授業中もハンドボールのフォーメーションを考えているほどであった。部活の最初に5キロのランニングがあり、部活は日没まで2時間ほど行っていたが、そのあと自主的にさらに5キロのランニングをこなし帰路についていた。
ほとんど部活と体育の授業が楽しみだったあの時代に、もうひとつだけ、ひそかな楽しみがあった。
それは、昆虫である。
鳥取県には北海道にはいない昆虫がたくさんいた。おんぶバッタもそのひとつ。バッタはトノサマバッタが北海道では一番大きく、憧れのバッタだった。しかし、おんぶバッタはその2倍くらい大きく感動した。また、北海道ではアブラゼミとエゾゼミが2極をなす大きなセミであるが、鳥取のクマゼミの大きさには気絶しそうなインパクトがあった。
ある夏の日、オオカマキリのメスが私の前に現れた。図鑑で見た憧れのカマキリ。日本最大のカマキリ。円山動物園の昆虫館で見るよりデカかった。捕まえようにもカマを振り上げ、羽を広げ、威嚇されたら手がでなかった。1時間ほど見とれていた。捕まえ方がわからなかった。無理につかむと殺してしまいそうで手がでなかった。そのうちにそのカマキリは飛んでいった。ただ見送っていた。
そして冬が来た。鳥取の冬は雪がほとんど降らない。北海道育ちの私にとっては、冬が来る前に春が来る感覚で、消化不良の冬である。そんな冬のある日、小さな木の枝にオオカマキリの卵を見つけた。図鑑で何度も見たあのハート型の卵胞。見つけたときは有頂天であった。枝ごと虫かごの中に入れた。写真で見るような200匹もの幼虫が、垂れるように孵化してくるのを楽しみにしていた。しかし3月になっても、暖かくなっても孵化しない。もう卵は死んだのだと思い、虫かごの外に出し、本の間に挟んでオブジェとして飾っていた。3月は、北海道の感覚ではもう初夏であったが、鳥取では春になったばかりであった。
カマキリの孵化は4月初旬ある日突然始まった。学校から帰って、自分の部屋に入ると、床じゅうに小さな虫が動いていた。体長1cmほどの幼虫である。幼虫と言っても、羽がないだけで見るからに立派なカマキリの形態をしていた。本物の生まれたてのカマキリを見たのは初めてで、うれしくて、たのしくて、部屋中に散らばった約200匹のカマキリはそのままにして、カマキリたちと戯れていた。しばらくして見慣れてくると、やたらに多いカマキリの処分に困った。もちろん殺すわけにはいかない。憧れのカマキリである。まず、全てのカマキリの幼虫を摘まずに手に乗せて虫かごに入れた。ほぼ全部を捕まえるのには1時間ほどかかった。虫かごいっぱいの幼虫を見て、こんなに飼えないと思った。「吉兆」と同じく、もったいないと思ったが、10匹を残しほとんどは隣の空き地に逃がした。
次の日はカマキリの餌を探しに行った。カマキリは自分より大きい相手は餌としない。小さなカマで捕まえられる大きさの虫でなくてはならない。しかし、この時期にバッタは孵化していない。ショウジョウバエも捕まえられなかった。何にも餌は見つからなかった。外はまだ寒すぎた。逃がしたカマキリをかわいそうと思い探したが、1匹も見つからなかった。仕方がないので、そのまま水だけを与えていた。霧吹きの水滴を飲むカマキリはかわいかった。私があげたものを口にする姿が愛らしかった。
3、4日するとカマキリは9匹に減っていた。バラバラになったカマキリが虫かごの底に転がっていた。共食いしたのである。私は、1匹ずつ分離して飼うことも考えたが、餌がない以上仕方がない。心は痛んだが、共食いさせることで、最強のカマキリが残るのではないかと考えた。
どんな壮絶な環境であったかは知る由もないが、すぐに最後の1匹になった。最後の1匹は、後からわかったが、メスだった。虫の世界も、人間の世界もメスは強いのである。メスが強いといえば、私の妻も…やはり止めておこう。
最後の1匹になっても、外に虫はいなかった。餌がなかった。生肉を糸につけて揺らしたりもしたが、上手くいかない。口のそばに肉を持っていってもほんの少ししか口にしない。このままでは死んでしまう。私は究極の手段に出た。指のサカムケから出た血液を飲ませてみたのである。すると、喉が渇いていたのかとても美味しそうに、初めて水を飲んでいたときと同じように愛らしく飲むのであった。外に虫が出てくるようになるまでは、この状態が続いた。
そうしているうちに、さまざまな虫が見つかる季節に突入した。色々捕まえてきて試した。バッタは美味しいらしい。ダンゴ虫などの殻のかたい虫や甲虫は苦手、蝶や蛾は食べ残しが汚い、ゴキブリを食べている姿は、見ているこっちが気持ち悪い。色々なことがわかり、結局バッタを主食にすることにした。
室内で飼っているので、風は吹いていないのに、カマキリは獲物に近づいていくとき、風に揺らされているように体を左右に振りながら前進する。動いているものに顔だけを向け、カマの前足をゆっくりと獲物の方へ動かして歩いていく。獲物に近づくとカマの前足は正中にそろえ、後ろ足だけで体をユラユラとさせながらさらに近づく。そして、電光石火の勢いで両方のカマで獲物を捕らえるのである。決して獲物の腹からは食いつかない。必ず、首や頭から噛り付くのである。獲物は一巻の終わりである。獲物も必死にもがくが、カマは決して離してはくれないのである。
私は毎日、学校帰りに1匹の獲物を捕らえるのが日課になっていた。カマキリの大きさに合わせた獲物を捕まえることはとても楽しかった。血を分けた彼女も最後の脱皮を無事に終えた。カマキリは9回の脱皮をして成虫になる。最後の脱皮で羽が背中に生えるのである。立派なメスのオオカマキリに成長した。今まで脱いだ殻は記念にとってあった。脱皮をするたびに大きくなる。すごい変化であった。
昆虫には完全変態と不完全変態の2つの成長の仕方がある。完全変態とは、幼虫と成虫の形態がまったく違い、蛹になり成虫になるものである。たとえば、カブトムシや、蝶がそうであり、幼虫の時期は芋虫のような形態をしていて、成虫のときとは食べ物も形態も全く異なる。それと対照的に、不完全変態は幼虫のときも成虫のときとほとんど変わらない形態や摂食様式をとる。バッタやゴキブリがその仲間にあたる。トンボも蛹にはならないが、不完全変態の一種で半変態という分類に属する。カマキリは不完全変態である。
私のカマキリも立派な成虫になったが、結婚相手がいなかった。成虫になる時期も外の時期とはずれていたのである。かわいそうにも成虫になるのが早すぎたのである。私は彼女を逃がすことにした。最後ぐらいは自然の中で、自由にさせてあげたかった。断腸の思いで野原に放した。外の若いカマキリには、いろんな意味で彼女は「カマキリ夫人」だったのかもしれない。オスの小さなカマキリは餌食になったことだろう。一生伴侶にめぐり合うこともなかったかもしれない。
そんな彼女には申し訳ないが、私は結婚し、今は3人目の子供が生まれようとしている。小学2年生になる長男の友達から「本州から送られてきたカマキリの卵が孵化した」と連絡があった。子供よりも私が乗り気でもらいにいった。15匹もらった。子供も私も、有頂天であった。ただ、そのときに駐車違反となり1万5千円の罰金が科せられ、カマキリ1匹は千円の値がついた。
現在、アブラムシを餌にしているが、妻からは「観葉植物にアブラムシがつかないように」とプレッシャーをかけられつつ、子供よりも私の方が真剣に飼育している。オオカマキリは札幌にはいない種なので、成虫になっても鳥取時代のように逃がすことは出来ない。しかし、そんな心配が出来るように成虫までしっかりと飼育して、子供と一緒に楽しい体験をしてみたいと思うこのごろである。
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by nikikai_sapporo
| 2008-05-21 06:50
| Dr.佐藤 禎