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歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo

コラム・12月号(第122回)/ Dr.門脇 繁 【二期会歯科クリニック・札幌市中央区】

〜「言語」によって「世界」は違って見える?〜

 2017年も早いモノで、あと一ヶ月を切ってしまった。今年の私の映画ベストワンは『メッセージ(原題:ARRIVAL)』になると思う(まだ確定してはいないけど・・)。
 この映画は中国系アメリカ人作家テッド・チャンの『あなたの人生の物語』というベストセラーSF短編を原作としている。この原作短編を読んだ印象は、理屈っぽく、観念的で、SF小説を読み慣れていない私にとっては少々肩すかしを食らった感じがした。
 映画の方は原作短編のイメージを膨らませ、極上エンターテインメントとして仕上げた優れものである。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ(彼は『ブレードランナー2049』の監督でもある)。ある日突然、地球上の十数カ所に宇宙船が飛来する。エイリアンの飛来目的は何かを探ろうとして、世界各国で様々な学者たちが召集されエイリアンの言語を解析が行われていく。

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 この映画について書きたいことは山ほどあるのだが、今回のテーマは「言語」である。

 主人公である女性言語学者がハンコに似た象形文字風のエイリアン語を解析していく過程で「サピア・ウォーフの仮説」という考え方が引用される。ネットでこの仮説を調べてみると、様々な言語学的あるいは心理学的な考察、仮説への批判、近年の再認識の状況などが語られている。この仮説をかいつまんで言えば、「使う言語が違えば、周りの世界の見え方も違うでしょ。」ということである。
 例をあげてみると・・・・
1)我々日本人は虹を7色と認識するが、色の微妙な違いを表す言葉がない言語圏の人間は虹を6色以下で認識している。
2)「上下左右」という相対方位の表現を持たない言語圏の人間は日常生活の中でも「彼はスプーンを南東に置いた。」というふうに東西南北という絶対方位で表現する。
3)数を数える単語がない言語を使う民族は「ちょっと」「まあまあ多い」「いっ〜ぱい」ぐらいの大雑把な認識しかしない。
・・・・とまあ、こういうことらしい。

 日本語で思考する世界、英語で思考する世界、フランス語で思考する世界、そしてエイリアン語で思考する世界はそれぞれ違って見えるのだろうか?この仮説が正しいとすれば、世界はかなり違って認識されていることになる。映画『メッセージ』では、エイリアンの言語を解析し理解していくにつれて、主人公もエイリアンの思考回路や世界観・現実認識(ものの見方・見え方)ができるようになり・・・嗚呼、ここからはネタバレなので・・・ダメよダメダメ(古い!)。

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 話は少々飛ぶのだが、今年、外国人と楽しくお酒を飲みながらお話しする機会があった。もちろん会話は日本語!一人はうちのカミさんの友人の御主人(イギリス人)で、函館で大学教員をされており、函館と札幌とで二回お会いした。もう一人はうちのカミさんの音楽仲間が通うフランス語学校の校長先生(フランス人)で、学校の音楽祭(?)の打ち上げを我が家で行った際にお会いしたのである。彼らはそれぞれ日本に二十年以上住んでいて、誠に見事な日本語を話される方々である。二人との会話で感じたことは、彼らは日本語を喋るという次元を超えて、日本語で思考する世界を私と共有できているという点である。これは本当に素晴らしいことである。とりわけイギリス人の先生が凄いのは、自分が喋った日本語表現が適切であるかどうか常に反芻し検証しているというのだ。これは母国語である英語で思考する(認識する)世界と日本語で思考する(認識する)世界のすりあわせを常に行っているということに他ならない。バイリンガルということは、単に複数の言語をコミュニケーション・ツールとして話せるということではなく、複数の言語で認識される複数の世界感をシームレスに行き来できることを意味しているのである。この二人の外国人はまさしく本物のバイリンガルであった。

 私はというと、自慢じゃないが語学センスは全く無しである。受験勉強としての英語は「読み書き」として一応、身につけてはいる。しかし「話す聴く」というのがダメである。言い訳がましく言わせて貰えば、日本の英語教育のひずみを一身に背負っているような男である。何せ元々おしゃべり人間である私の頭の中は、花火大会の夜の豊平川河川敷にうごめく群衆の如く、言いたいことが溢れかえっているのに(もちろん日本語、北海道弁で考えている!)、それらを英語でろくに表現できない嘆かわしさよ!海外旅行の際などは、映画の中の高倉健のように無口にならざるを得ない。このようなストレスを乗り越えた先に、語学習得の道が開けるということは判っている。がしかし、そのハードルの高さを人一倍感じてしまう自分がいる。もしも私が日本語の通じない世界に放り込まれたら、考えること自体面倒になって、表現できる範囲のことしか考えなくなって、全くつまらない人間になってしまって、私が認識できる世界はどんどんちっぽけになって・・・・そんな恐怖にさいなまれるのである。


 ある休日の夕飯を、うちのカミさんと娘、そして娘のカレシと4人で食べた時のことである。カレシはニュージーランドと日本のハーフで英語が母国語であり、カレシの日本語は私の英語と似たような程度である。

 カレシが「キョウハ、ナニヲシテスゴシマシタカ?」と私に尋ねる。
 私は「今日はね、映画のはしごをしたんだよ。」と言いたいが・・・
 んんん?さすがに「ladder of movie theaters」じゃ、通じねーだろ。
 娘に「映画のはしご」ってどう言うんだ?と私は訊く。
 娘は「映画を二本観た、でいいんじゃないの」、と面倒くさそうに答える。
 「いやいや、違う。『はしご』って言うニュアンスをどういうんだ?
 英語でも何軒も酒飲み歩くってぇいう表現はあるだろう。
 その『はしご』をカレシに訊いてくれ。」と私が言う。
 娘はゴショゴショとカレシに説明している。
 彼は頭の上に『はてなマーク??』を浮かばせながら、「・・・PUB CRAWL」と発する。


 そうか!英語で思考する世界では、はしご酒する酔っ払いはパブからパブへとウィスキーの海をクロールで泳いでいくのか!しかし日本語で思考する世界では(私だけかもしれないが・・)はしご酒する酔っ払いは居酒屋と居酒屋の間に長〜〜い梯子をかけて、そこを四つん這いになってヘロヘロと渡っていくんだよ。映画館と映画館の間にも長〜〜い梯子をかけてモグラのように光を避け、目を細めながら四つん這いで渡っていくんだよ。二本立ての映画を観たのとは、異なる認識なのだよ・・・・などと頑固に考えているうちは、語学習得もしくは複数の言語で認識される複数の世界感をシームレスに行き来することなど・・・・夢のまた夢なのであった。


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by nikikai_sapporo | 2017-12-03 12:51 | Dr.門脇 繁