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歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo

コラム・7月号(第45回)/Dr.正木 史洋 【二期会歯科クリニック・札幌市中央区】

「思いつくままに」

 5月の下旬、米国オレゴン州ポートランド市在住の友人夫妻(グリーンカード取得の日本人)が来道し、実に三十三年振りに旧交を温める機会があった。私がポートランド市内の大学に赴任した1976年当時、同世代のご主人は同市ビーバートンに本社を置く、オシロスコープで有名なTektronix社でエンジニアをされていて、私の前任者である武内豊先生を介して知り合った。奥方は双子の出産を間近に控えて大きなお腹をしていたが、その子達も既に立派な社会人。子育てから解放されてから年に一回のペースで旅行しているとのこと。私が78年に札幌へ戻った後、ご主人は「インテル、ハイッテル」のコマーシャルが一頃流行ったあのIntel社へ移り現在に至っているが、年に2週間の休暇と数年ごとにサバティカルの長期休暇が保証されていて、家族で米国内はもとよりヨーロッパや日本を旅行しているという。何ともうらやましい話ではないか。当院創設時、将来の構想として10日ないし二週間ぐらいの夏休みが取れるようにしたい、などと話し合っていたが、夢のまた夢。数年前の帰国時は当方の都合で相まみえるすべが無かったが、今回は成田からJRを使って函館へ入り周辺を観光して釧路、弟子屈と回って札幌入りとなった。ちょうどトマム付近でJR特急の炎上事故があった翌日で、スケジュールが数時間も遅れてしまった。ホテルへ迎えに行くと、一目で直ぐお互い解り合えた。確かに容姿は三十三年の経過でそれ相応の変化は有るが、食事を取りながら近況や友人達の消息などで話の花が咲きだすと、当時の生活や行事、日常通ったスーパーマーケット、暮らしていた周りの風景を含め鮮明に蘇ってきた。三十三年という時間は観念的にはとても長いが、感覚的には昨日のことのように思えるほど短く、記憶が薄れる訳ではないことを実感した。

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噴火前のMt. St. Helens

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Mt. Hood


 閑話休題。私達が大学を卒業した1974年は、その前年に第四次中東戦争が勃発していわゆるオイルショック(第一次)という造語がマスコミを賑わしていた時である。スーパーマーケットでトイレットペーパーの買いだめに人が並ぶ風景がニュース映像でよく流れていた。私たちの親の世代は遡ることその29年前にあの敗戦による終戦を経験している。幼い頃から戦争での親の体験を聞かされていた私は「自分の両親は大変な思いをしたのだ」といった程度の感情は常に抱いてはいた。日本がポツダム宣言を受諾後、父はシベリア抑留となり母がひとりで4歳を頭とする乳飲み子を含む4人の子供たちを引き連れて満州から引き揚げるさなか、食糧難から栄養失調のため幼子4人全てを彼の地で亡くしてしまった辛く悲しい思い出である。亡くなった子供達の年齢に重なる年頃の孫を抱ける身となった今、4か月の間に一人また一人と子供を亡くしていく母の気持ちをあらためて思いやると、たまらなくなる。そして生きていれば話し相手になってくれたであろう私の兄や姉達の不憫さを思うのである。大学を卒業した頃の自分には親の心情に潜む苦悩を真剣に考えることは無かったし、また考えることはできなかった。

 三十三年の歳月がこんなにも短く、記憶が曖昧になることはないことを再認識した、香りかぐわしいライラックが咲き誇る一夜であった。

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by nikikai_sapporo | 2011-06-30 09:34 | Dr.正木 史洋