コラム・5月号(第31回)/Dr.門脇 繁【二期会歯科クリニック・札幌市】
2010年 05月 08日
女の顔に荒野を見た!~近作における3D的考察~
昨今の映画の話題は猫も杓子も3Dである!でもねぇ、映像が飛び出してくればいいてぇもんじゃないでしょ。見た目に奥行きがあっても、映画そのもの~描かれている物語や人物に「奥行き」が無けりゃお話にならないのである。
そこで今回の門脇担当の映画ネタは、最近観た二本の映画の「3D」的考察である。
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クリスマス間近の寒い朝、女はトレーラーハウスの前でタバコを吸っている。彼女の顔は途方に暮れた悲しさに覆われている。肌は荒れ、皺は深く深く刻まれ、涙も凍りつきそうである。その顔には「荒野」が見える。これまでも貧困の中で苦しい生活をしてきたのだろう。それでも何とか生きてこられた。しかし今朝目覚めたら突然、彼女は荒野に置き去りにされてしまったのである。
映画「フローズン・リバー」のファーストシーンである。
主人公である女(レイ)は、新しいトレーラーハウスを買うため必死に貯めた資金をギャンブル狂いの夫に持ち逃げされたのである。彼女は100円ショップ(1ドルショップ)で店員をしながら、高校生と5歳の男の子を育ててきた。きっと蒸発する前から夫は当てにならないヤツだったんだろう。さあ、どうやって生きていく?レイは夫捜しの途中で知り合った若いモホーク族(ネイティヴアメリカン)の女と犯罪に手を染めていき、必然的に悲劇が待っている、という筋書きである。
悲劇の果て、ラストではトレーラーハウスの前にある壊れかけたメリーゴーランドで、レイのふたりの息子、そしてモホーク族の若い女と彼女の赤ん坊が遊んでいる。主人公レイの姿は見えない。レイの不在が皮肉にも新しい家族の希望を意味することとなる。
そのラスト直前、心に残るシーンがある。高校生の兄ちゃんは弟にクリスマスプレゼントのおもちゃを買ってやるために、稚拙なカード詐欺を働く。当然ばれて警察が被害者の婆ちゃんをトレーラーハウスまで連れて行く。警察は兄ちゃんをパトカーに乗っている婆ちゃんの所まで連れて行き、直接詫びを入れさせるのである。ぎこちなく「ごめんなさい」と詫びる兄ちゃん。無言でうなずく婆ちゃん。こうして筋をきちんと通すことが「生きていく」事の基本であり、若いヤツの過ちを厳しく対処しつつも「人として許すこと」が希望をはぐくむのだと痛感させられる。素晴らしい希望のショットである。
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空港の待合室(カフェ?)で、一人の女がタバコを吸いながら何か(誰か)を待っている。彼女の顔はスッピンでやつれていて、「血の気」が無い。死んではいないが、決して「生きている」ようには見えない。生きること、存在することを拒んでいるようにも見える。彼女の顔にも「荒野」がみえる。彼女はずっと長く荒野を一人で歩いてきたし、きっとこれからもその孤独の中で歩き続ける覚悟があるようにも見える。
映画「ずっとあなたを愛している」のファーストシーンである。
主人公である女(ジュリエット)は15年の刑期を終え、出所したばかり。年の離れた妹が同居を申し出てくれて、彼女の家に向かおうとしている。長く「不在」であったジュリエットは新しい土地で新しい家族と過ごし、新しい仕事を見つけ、新しい社会の中で「生きて」いかなければならない。しかし過酷なハードルがいくつもいくつも待ち構えている。なにせジュリエットが犯した罪は殺人で、しかも自分の6歳の息子を手にかけたのであるから。そして殺人の理由や背景は公判でも明かされることがなかったのである。
彼女の「荒野」は徐々に耕され、灌漑されていく。その過程を映画は慌てずじっくり描き出す。そして最後に激流のような姉妹の感情のぶつかり合いの果て、「WHY?」が明かされる。ラストシーンのジュリエットの顔にはもはや「荒野」はなく、「私は、ここにいる。」と高らかに言い放つのである。これはジュリエットの再生と希望を意味するものであろう。
この映画にもラスト直前に、とびきり美しいシーンがある。刑務所で教鞭をふるった経験のある妹の同僚(さえない禿オヤジ)がジュリエットの理解者として現れるのだが、彼女はなかなかそれを受け入れられないでいる。二人の共通の趣味が絵画であることから、美術館でデートを重ねる。美術館の螺旋階段を下りるとき、ジュリエットは何か彼にささやきそっと彼の肩に手を置く。カメラは階段を下りる二人を階下から仰視する。そして階段の壁には、二人の行く末を見守っているような天使像が見える。これもまた心打つ希望のショットである。
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この二本の映画は、もちろん専用メガネをかけて観る3D映画ではない。平面のスクリーンに映し出される2D映画である。映画はたかだか二時間で「物を語る」見せ物であるけれど、人間を描くにはその脚本の中に過去と未来をつなぐ時間軸がしっかり通っていなければならない。この二本の映画の脚本は、ファーストショットの「荒野」で過去を描き、ラストショットで微かな希望の香りを未来に放つ見事なものである。この時間軸という「Dimension」がしっかり通った映画こそが専用メガネ不要の「3D」映画であり、「奥行き」を持った映画と言えるのではないだろうか。
▽総合的な治療が可能な歯科医院です
医療法人 二期会歯科クリニック / 矯正歯科 小児歯科 歯科口腔外科 審美歯科
札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F TEL:011-251-2220
昨今の映画の話題は猫も杓子も3Dである!でもねぇ、映像が飛び出してくればいいてぇもんじゃないでしょ。見た目に奥行きがあっても、映画そのもの~描かれている物語や人物に「奥行き」が無けりゃお話にならないのである。
そこで今回の門脇担当の映画ネタは、最近観た二本の映画の「3D」的考察である。
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クリスマス間近の寒い朝、女はトレーラーハウスの前でタバコを吸っている。彼女の顔は途方に暮れた悲しさに覆われている。肌は荒れ、皺は深く深く刻まれ、涙も凍りつきそうである。その顔には「荒野」が見える。これまでも貧困の中で苦しい生活をしてきたのだろう。それでも何とか生きてこられた。しかし今朝目覚めたら突然、彼女は荒野に置き去りにされてしまったのである。
映画「フローズン・リバー」のファーストシーンである。
主人公である女(レイ)は、新しいトレーラーハウスを買うため必死に貯めた資金をギャンブル狂いの夫に持ち逃げされたのである。彼女は100円ショップ(1ドルショップ)で店員をしながら、高校生と5歳の男の子を育ててきた。きっと蒸発する前から夫は当てにならないヤツだったんだろう。さあ、どうやって生きていく?レイは夫捜しの途中で知り合った若いモホーク族(ネイティヴアメリカン)の女と犯罪に手を染めていき、必然的に悲劇が待っている、という筋書きである。
悲劇の果て、ラストではトレーラーハウスの前にある壊れかけたメリーゴーランドで、レイのふたりの息子、そしてモホーク族の若い女と彼女の赤ん坊が遊んでいる。主人公レイの姿は見えない。レイの不在が皮肉にも新しい家族の希望を意味することとなる。
そのラスト直前、心に残るシーンがある。高校生の兄ちゃんは弟にクリスマスプレゼントのおもちゃを買ってやるために、稚拙なカード詐欺を働く。当然ばれて警察が被害者の婆ちゃんをトレーラーハウスまで連れて行く。警察は兄ちゃんをパトカーに乗っている婆ちゃんの所まで連れて行き、直接詫びを入れさせるのである。ぎこちなく「ごめんなさい」と詫びる兄ちゃん。無言でうなずく婆ちゃん。こうして筋をきちんと通すことが「生きていく」事の基本であり、若いヤツの過ちを厳しく対処しつつも「人として許すこと」が希望をはぐくむのだと痛感させられる。素晴らしい希望のショットである。
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空港の待合室(カフェ?)で、一人の女がタバコを吸いながら何か(誰か)を待っている。彼女の顔はスッピンでやつれていて、「血の気」が無い。死んではいないが、決して「生きている」ようには見えない。生きること、存在することを拒んでいるようにも見える。彼女の顔にも「荒野」がみえる。彼女はずっと長く荒野を一人で歩いてきたし、きっとこれからもその孤独の中で歩き続ける覚悟があるようにも見える。
映画「ずっとあなたを愛している」のファーストシーンである。
主人公である女(ジュリエット)は15年の刑期を終え、出所したばかり。年の離れた妹が同居を申し出てくれて、彼女の家に向かおうとしている。長く「不在」であったジュリエットは新しい土地で新しい家族と過ごし、新しい仕事を見つけ、新しい社会の中で「生きて」いかなければならない。しかし過酷なハードルがいくつもいくつも待ち構えている。なにせジュリエットが犯した罪は殺人で、しかも自分の6歳の息子を手にかけたのであるから。そして殺人の理由や背景は公判でも明かされることがなかったのである。
彼女の「荒野」は徐々に耕され、灌漑されていく。その過程を映画は慌てずじっくり描き出す。そして最後に激流のような姉妹の感情のぶつかり合いの果て、「WHY?」が明かされる。ラストシーンのジュリエットの顔にはもはや「荒野」はなく、「私は、ここにいる。」と高らかに言い放つのである。これはジュリエットの再生と希望を意味するものであろう。
この映画にもラスト直前に、とびきり美しいシーンがある。刑務所で教鞭をふるった経験のある妹の同僚(さえない禿オヤジ)がジュリエットの理解者として現れるのだが、彼女はなかなかそれを受け入れられないでいる。二人の共通の趣味が絵画であることから、美術館でデートを重ねる。美術館の螺旋階段を下りるとき、ジュリエットは何か彼にささやきそっと彼の肩に手を置く。カメラは階段を下りる二人を階下から仰視する。そして階段の壁には、二人の行く末を見守っているような天使像が見える。これもまた心打つ希望のショットである。
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この二本の映画は、もちろん専用メガネをかけて観る3D映画ではない。平面のスクリーンに映し出される2D映画である。映画はたかだか二時間で「物を語る」見せ物であるけれど、人間を描くにはその脚本の中に過去と未来をつなぐ時間軸がしっかり通っていなければならない。この二本の映画の脚本は、ファーストショットの「荒野」で過去を描き、ラストショットで微かな希望の香りを未来に放つ見事なものである。この時間軸という「Dimension」がしっかり通った映画こそが専用メガネ不要の「3D」映画であり、「奥行き」を持った映画と言えるのではないだろうか。
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by nikikai_sapporo
| 2010-05-08 06:57
| Dr.門脇 繁