コラム・第14回/Dr.森本 光一 [ 二期会歯科クリニック ]
2008年 12月 19日
HONDAがF1から撤退~一モータースポーツファンの独り言~
2008年12月5日にHONDAがF1から撤退するというニュースが突然発表されまし た。 ひとりのモータースポーツファンとしては、すごく残念な気持ちと最近の F1の現状を考えると「しょうがないかな」と思う気持ちが複雑に絡み合ってい ます。 HONDAにとってF1とは特別なものであり、その挑戦の歴史をかいつまんでふりかえってみたいと思います。
1964年に初めてF1に参戦した時には自動車(しかも軽トラック!)を作り始め て2年目の事でした.なぜそんな時期に参戦したかというと、当時の社長の本田宗一郎氏が「世界で一番でなければ一番じゃねぇ!」 と技術向上と従業員の士 気高揚を図るために破産覚悟で決断したものでした。
![コラム・第14回/Dr.森本 光一 [ 二期会歯科クリニック ]_c0130091_752519.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200812/19/91/c0130091_752519.jpg)
既にオートバイのレースでは海外で何度も勝っていたため、当時のHONDAのF1マシーンのエンジンは馬力ではナンバーワンでしたが、その分複雑で重たく初期トラブルも重なってなかなか良い成績が上げられませんでした。しかし1965年の最終戦メキシコGPではついに優勝したのでした。残念な事に当時の日本の社会には「暴走族の行為を助長する」とあまり大きくとらえられませんでした。
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しかし欧米では、そのひときわ甲高いエンジン音から「ホンダミュージック」と賞賛されました。その後、小型乗用車の開発に専念するためF1活動を休止する1968年までの35戦で合計2勝をあげ、HONDAの第一期の挑戦は終わりました。
1983年HONDAはエンジンのみをチームに供給するといった形でF1に復帰を果たします。 翌1984年の第9戦のダラスGPで復帰後の初優勝を飾り、その後着実に力をつけたHONDAエンジンは1987 年から1991年の5年にわたりチャンピオンエンジンとなったのです。 特に1988年には全16戦中15勝という圧倒的強さを見せたのでした。 しかし1992年に「初期の目的は果たした」とF1からの一時撤退を決め、この10年間で計151戦中63勝し てHONDAの第二期の挑戦は終わりました。
![コラム・第14回/Dr.森本 光一 [ 二期会歯科クリニック ]_c0130091_7523168.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200812/19/91/c0130091_7523168.jpg)
(創業者本田宗一郎と「音速の貴公子」アイルトン・セナのツーショットです。残念ながら二人ともすでに故人となってしまいましたが、セナの活躍無くして第二期の栄光は無かったと思います。)
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2000年から再びF1へエンジンの供給を再開したのですが、期待とは裏腹に成績は振るいませんでした。ついに2006年からは車体も自社製のオールHONDAとして38年ぶりに参戦し、2006年の第13戦ハンガリーGPでついに優勝を飾るのですがその後は低迷が続き来年こそはとの期待もあったのですが冒頭にも書きましたように今年でHONDAの第三期の挑戦は幕を閉じました。
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確かに現在の自動車業界は世界的に危機的状況であり、年間活動費に約400億円も必要なF1活動は会社の運営上厳しいものだと思います。なにせF1マシンはネジの一つから全て特注品で勝つためのマシンを作るには多くのスタッフと莫大な開発費がかさんでしまいます。そのためここ数年はコスト削減のためのルールが重視され、その結果、チームごとの特色が薄れてしまったのも事実です。
しかし、何でもありにしてしまうと安全性も失われてしまい、実際1970年代までは常に死と背中合わせのものでした。安全性とスピードといった相反する物を管理するためにはルールが必要ですが、このルールの中で勝ち抜くためには他のチームが行っている事それ以上が要求され、たとえ今年は良い成績だったとしてもそのままでは次の年には下位グループに埋もれてしまうくらい厳しい物なのです。
~HONDAの光と陰~
スピードのみを考えればエンジンの馬力が大きければそれだけ最高速度は上がります。第1~2期のHONDAのアドバンテージはずばりここでした。そのうえ燃費や信頼性といった点でも優れていました。ところがここが大きな落とし穴で、そのスピードを活かせる車体の開発がおろそかになっていたのでした。HONDAが活動休止している1970年代と1990年代で最も進歩した事は空力でした。走行中の風の抵抗をできるだけ抑え、かつその抵抗を利用して車体を安定させるか、といったことが様々な角度から研究され、開発されていったのです。追い討ちをかけるように先に述べたルールによってコスト削減のためエンジンの開発やその性能までも制限されてしまい、第三期のHONDAのF1はその遅れを取り戻す事ができずに苦戦を強いられたのです。
しかし、2009年度に向けて明るい材料もあったのです。新しいルールでは環境問題に対応するためにエネルギー回生システム(タイヤの回転で発電してそのエネルギーを再利用するシステム)の導入が決まっておりHONDAがそのシステムで一番進んでいると言われていたのです。
そんな中の撤退のニュースですが、記者発表の時の福井威夫社長の顔が残念だというよりは、諦めきれない悔しさがにじみでていたような気がします。
この危機を乗り越えてきっとF1に帰ってくると私は信じています。
「F1はHONDAのDNA」なのですから・・・
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▽総合的な治療が可能な歯科医院です
医療法人 二期会歯科クリニック / 矯正歯科 小児歯科 歯科口腔外科 審美歯科
札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F TEL:011-251-2220
2008年12月5日にHONDAがF1から撤退するというニュースが突然発表されまし た。 ひとりのモータースポーツファンとしては、すごく残念な気持ちと最近の F1の現状を考えると「しょうがないかな」と思う気持ちが複雑に絡み合ってい ます。 HONDAにとってF1とは特別なものであり、その挑戦の歴史をかいつまんでふりかえってみたいと思います。
1964年に初めてF1に参戦した時には自動車(しかも軽トラック!)を作り始め て2年目の事でした.なぜそんな時期に参戦したかというと、当時の社長の本田宗一郎氏が「世界で一番でなければ一番じゃねぇ!」 と技術向上と従業員の士 気高揚を図るために破産覚悟で決断したものでした。
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1983年HONDAはエンジンのみをチームに供給するといった形でF1に復帰を果たします。 翌1984年の第9戦のダラスGPで復帰後の初優勝を飾り、その後着実に力をつけたHONDAエンジンは1987 年から1991年の5年にわたりチャンピオンエンジンとなったのです。 特に1988年には全16戦中15勝という圧倒的強さを見せたのでした。 しかし1992年に「初期の目的は果たした」とF1からの一時撤退を決め、この10年間で計151戦中63勝し てHONDAの第二期の挑戦は終わりました。
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2000年から再びF1へエンジンの供給を再開したのですが、期待とは裏腹に成績は振るいませんでした。ついに2006年からは車体も自社製のオールHONDAとして38年ぶりに参戦し、2006年の第13戦ハンガリーGPでついに優勝を飾るのですがその後は低迷が続き来年こそはとの期待もあったのですが冒頭にも書きましたように今年でHONDAの第三期の挑戦は幕を閉じました。
![コラム・第14回/Dr.森本 光一 [ 二期会歯科クリニック ]_c0130091_7525237.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/200812/19/91/c0130091_7525237.jpg)
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確かに現在の自動車業界は世界的に危機的状況であり、年間活動費に約400億円も必要なF1活動は会社の運営上厳しいものだと思います。なにせF1マシンはネジの一つから全て特注品で勝つためのマシンを作るには多くのスタッフと莫大な開発費がかさんでしまいます。そのためここ数年はコスト削減のためのルールが重視され、その結果、チームごとの特色が薄れてしまったのも事実です。
しかし、何でもありにしてしまうと安全性も失われてしまい、実際1970年代までは常に死と背中合わせのものでした。安全性とスピードといった相反する物を管理するためにはルールが必要ですが、このルールの中で勝ち抜くためには他のチームが行っている事それ以上が要求され、たとえ今年は良い成績だったとしてもそのままでは次の年には下位グループに埋もれてしまうくらい厳しい物なのです。
~HONDAの光と陰~
スピードのみを考えればエンジンの馬力が大きければそれだけ最高速度は上がります。第1~2期のHONDAのアドバンテージはずばりここでした。そのうえ燃費や信頼性といった点でも優れていました。ところがここが大きな落とし穴で、そのスピードを活かせる車体の開発がおろそかになっていたのでした。HONDAが活動休止している1970年代と1990年代で最も進歩した事は空力でした。走行中の風の抵抗をできるだけ抑え、かつその抵抗を利用して車体を安定させるか、といったことが様々な角度から研究され、開発されていったのです。追い討ちをかけるように先に述べたルールによってコスト削減のためエンジンの開発やその性能までも制限されてしまい、第三期のHONDAのF1はその遅れを取り戻す事ができずに苦戦を強いられたのです。
しかし、2009年度に向けて明るい材料もあったのです。新しいルールでは環境問題に対応するためにエネルギー回生システム(タイヤの回転で発電してそのエネルギーを再利用するシステム)の導入が決まっておりHONDAがそのシステムで一番進んでいると言われていたのです。
そんな中の撤退のニュースですが、記者発表の時の福井威夫社長の顔が残念だというよりは、諦めきれない悔しさがにじみでていたような気がします。
この危機を乗り越えてきっとF1に帰ってくると私は信じています。
「F1はHONDAのDNA」なのですから・・・
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by nikikai_sapporo
| 2008-12-19 08:01
| Dr.森本 光一