歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo

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『藻岩山』

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 一年前から週末に藻岩山に登っている。
その前年、高校時代の友人と20数年ぶりに函館で再会したのがきっかけだ。
五稜郭の居酒屋で酒を酌み交わしているうちに、彼が北海道で一番高いところへ行ってみ
ようと言い出した。となると大雪山系の旭岳である。途中まではロープウエイで行けると
はいえ、一応2000mクラスの山だ。いつも散歩がてら自宅から行く旭山公園とはちょ
っとわけが違う。トレーニングが必要と考えた。そこで藻岩山である。

 これまで藻岩山にはロープウエイや車で何度も行ったが、歩いて登ったことは一度もない。
昨年6月の暑い日曜日、着替えのTシャツと水の入ったリュックを背負い、ウォーキング
シューズを履いて慈啓会病院横の登山口から登り始めた。事前にインターネットで概略を
調べておいたので道程はほぼ頭に入っていたが、初めてなのでなかなかペースがつかめない。
つい足が早まってしまう。汗が止めどもなく噴き出してくる。途中のいわゆる砲台跡と馬の
背で2回も休み水分を補給した。その日は気温が28度まであがり、かなり暑い一日だった
のを後で知った。

 頂上直下は険しい石ころだらけの道で傾斜もきつい。暑さとオーバーペースで疲労が進み、
時計を見るのもおっくうになる。テレビで見るヒマラヤ登山などで一歩を踏み出すのに
ずいぶん時間がかるのはこういうことなのかと、まるで次元が違うところで比較する自分に
あきれながら何とか1時間ほどで山頂にたどり着いた。こっちはフラフラなのに、軽快な
ペースで息も切らさずにすいすい歩いている初老の男性二人に途中で追い越されたのは
ショックだった。日頃それなりに運動していて、少なからず体力には自信があったのだ。

 実は登る前から、昼食は展望台のレストハウスでラーメンか親子丼を食べ、食後には
ソフトクリームなどを賞味する算段でいた。登山時間もそれに合わせていたのだ。その上で
帰りは横着してロープウエイに乗って降りようと考えていた。下りの方が膝やその周りの
筋肉に負担がかかることは経験上知っていたからだ。ところが疲労困憊してたどり着いた
頂上はいつもと様子が違う。観光バスは駐車しておらず人も数人しかいない。とても閑散
としているのだ。見ると展望台の建物は改修計画中で閉鎖され、リフトとロープウエイは
ものの見事に撤去されているではないか。これには落胆せずにはいられなかった。わが
人生には思い通りに行かないことが多い。仕事もそして、もしかしたら結婚も。

 ほかに手段がないので歩いて降りるしかない。非常用にと持参していたカロリーバーと
ミネラルウオーターで空腹をいやし、20分ほど休憩してから下山した。帰路同じ道を通る
のもつまらないので馬の背の分岐から旭山公園へ下るコースをとった。なんの根拠もない
のだが、傾斜がゆるそうなイメージがあったのだ。ところが無知とは恐ろしいものだ。
下りのはずなのに途中には急傾斜のアップダウンがあり、距離も相当長い。下界の街並みは
すぐそこに見えているのに、歩けども歩けどもなかなかたどり着けない。こちらのルートは
登山者がほとんどいないさみしい山道で心細くさえなる。しかもウォーキングシューズは
下りでは抑えが効きにくく、傾斜が急なところではついへっぴり腰になってしまう。旭山
公園にたどり着いたときには空腹と筋肉痛でかなり消耗していた。

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 それでも3日ほどで足の痛みも取れたので、翌週の日曜日再度アタックした。今度は
北大前の登山専門店で購入した軽量登山靴を履き、汗が乾きやすいメッシュのTシャツを
着て準備を整え、額にバンダナをきりりと巻いた。歩幅を狭くして、歩く速度も息が上が
らない程度のペースを心掛けた。前回の登山に比べると周りの景色を眺める余裕もできて、
こんどは追い抜かれることもなく50分ちょっとで頂上に着いた。

 晴れた日の山頂からの展望はとても良い。石狩湾と石狩平野、そしてその果てに連なる
山々が一望できる。ロープウエイ同様、観光道路も閉鎖されていて登山者以外人はいない。
観光シーズンの最中にもかかわらずとても静かなのだ。そんな中ではるか眼下の街並みを
見わたせば、そのほとんどを人力で、生い茂る原生林を切り開いた先人の苦労に思いが
馳せる。それはまた自然破壊の歴史でもあるのだが、、、、。

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 以来、天気の良い週末は時間があれば藻岩山に登っている。体が慣れたのか途中で休憩
することもなくなった。登山者同士がすれ違うたびに、一言あいさつを交わす習慣がある
のも気持ちがいい。中年女性の集団は例のごとく賑やかに、男性は黙々と、駆け足で登る
体育会系や、愛犬と一緒に登る人、若いカップルや小さな子供連れの家族もいる。我が家
と違い老オシドリ登山者も多い。冬には道中に33か所あるお地蔵さんに積った雪を、雪か
きで取り除いて歩く男性もいる。毎日欠かさず登っている人や朝夕2回登る人もいるらし
い。中でも真夏の暑い日、オフロード用のタイヤを付けた自転車を押しながら、汗だくで
難儀しながら登る中年男性に出会ったときには驚いた。これぞまさにマウンテンバイクで
はないか。そのときカメラを持っていなかったのが悔やまれる。かわいい山ガールには
めったに会えない。

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 昨年9月、約束通り函館の友人と大雪に登った。初めてなので旭岳ではなく少し楽な
黒岳にした。ロープウエイとリフトを乗り継いで7合目からの登山になる。ここから
頂上までの標高差は600m前後とほぼ藻岩山と変わりはないが、大きな岩だらけの
登山道は少々厄介だった。それでもトレーニングの成果が出たのか、あまり疲れずに
1時間ほどで1984mの山頂に着いた。

 ふもとから眺める紅葉も素晴らしいが、頂上から見わたした大雪山系の懐中のそれは
息を呑むほどの景観だった。人の手がほとんど入っていない雄大な自然の中に展開する
錦織りなす紅葉はまさに息を呑むほどの美しさだ。まるで異次元の世界にいるような
錯覚すら憶え、身震いするほどの感動を味わった。大雪山系の山々に取り囲まれた平原を
アイヌ語で「カムイミンタラ」、すなわち神々の遊ぶ庭というそうだが、まさに言いえて
妙たりの感がある。自分の足で歩いてここまでたどり着かない限りこの雄大なスケールの
景観を体験することはできない。函館での一夜、杯を酌み交わしつつ旧交を温めた中での
友人の一言が大自然との感動的な出会いをもたらしてくれた。機会があれば今度は黒岳
から旭岳まで縦走して、神々との時間を共有したいと思った。

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 藻岩山には今でも登っている。ゴルフと違い自分の気の向くままにマイペースで,だれ
に気を使うことなく一人でできる山登りは、集団生活が苦手な自分には合っているのかも
しれない。峻烈な寒気の朝、アイゼンをつけて新雪を踏みしめて登る冬、木々の芽吹きと
風の柔らかさを感じる春、木漏れ日の中、流れ出る汗を拭き拭き登る夏、枯葉の散る下で
落ち葉を踏みながら行く秋、四季折々の自然の移ろいを肌で感じることができる。札幌の
市街に接し、老若男女を問わず気軽に登山を楽しめる藻岩山はなかなかいい。

 片道1時間足らずの藻岩山登山はスポーツクラブで同じだけスローランニングするより
数倍のエネルギーを使う。しかも登ったら降りてこなければならない。メタボ対策には
最適だ。

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by nikikai_sapporo | 2011-05-29 06:33
<1995年~Retrospective>

 先日ある珍しい人物からメールが届いた。彼女は高校、大学歯学部、そして大学医局の後輩である。
「1995年の高校の同窓会誌をお持ちの方の心当たりはありませんか?」
 彼女は高校の同窓会幹事期を今年迎え、同窓会事務局のお手伝いをしているそうだ。
1995年阪神淡路大震災が起こった年の会誌の内容を知りたいのだが、事務局にはその年だけ欠落しているらしい。ちょうど、私自身が持っていたのでその年の会誌を貸し出すことになった。ちらちらと会誌の中身を見て、何故この年の会誌だけが同窓会事務局に欠落しているかがすぐに判った。

1995年~我らが母校の創立100周年の年だったからである。

いつもは多く印刷しすぎて余ってしまうことが多いのだが、この年に限っては記念に持ち出していった関係者が多数いたのだろう。

そして、私の想いは1995年へと飛んでいった。

******


 1995年1月、あの阪神淡路大震災が起こった。
 まだ今のようなインターネットの時代じゃなかった。YouTubeもTwitterも無かった。情報はもっぱらテレビやラジオからだった。その日の朝、二期会の医局では「関西で大きな地震があったようだね。」程度の認識で、昼休みには「詳しくは判らないけど、どエラいことになっているようだ。」となり、うちに帰ってから見たテレビでその惨憺たる有様を知ることとなった。
 以下は、現在、関西の大学に通う私の娘から聞いた話である。
クラブの先輩達と一緒の車の中での会話。運転していたのはある先輩のお父さんで、高速道路を走っていたときに彼が言ったそうだ。
「ここの道路がね、阪神淡路大震災でちょん切れたんだよ。」
「次の大地震は関西じゃない場所で起こると思うけど、いつになるだろう。40年後かもしれないし、明日かもしれない。」
その会話が交わされたのは、今年2011年3月10日の夕暮れのことだったそうだ。

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***


 1995年3月、あのオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。
 確か日曜日と祝日に挟まれた月曜日の朝の通勤時間に事件は起こった。私がそのニュースの第一報をテレビで観たのは、北大の口腔外科の医局だった記憶がある。そのころ私は口腔外科の認定医(現在の専門医)取得のための書類(自分が担当した手術所見や入院患者記録のまとめなど)作製に忙しく、しばしば二期会歯科から出身医局に出向いて先輩や教授に指導を受けていたのである。テレビを見ていても、何がどう起こったのか良く理解できなかった。しかし、この事件が松本サリン事件や弁護士拉致殺害事件などと結びつき、オウム真理教という団体の実態が判ってくるにつれ、背筋の凍る思いがしたのを憶えている。こうした一連のテロ事件は、決して外部(外国)からの攻撃ではなく、バブル経済に酔いつぶれた日本の一部分がメルトダウンし、その結果生じた閉塞集団が自己免疫疾患のメカニズムの如く「日本という自己」を攻撃したものであった。そして 一連のテロ実行犯達は、まさしく自分と同世代(当時30歳代)の各分野でのエリート集団だった。とりわけその事実が哀しく、衝撃的であった。 今から思えば、これはかつて日本が経験したことの無いようなテロ事件であったし、これはその後日本社会が変質していくターニングポイントだったと考えて良いのではないだろうか。

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 15年の時が流れ、劇作家・野田秀樹は2010年「ザ・キャラクター」という芝居で地下鉄サリン事件をとりあげた。その後「表に出ろいっ!」「南へ」の二作と続き〜『信じること』を現代に問う三部作〜を完成させた。私は「ザ・キャラクター」は東京芸術劇場で観劇し、「表に出ろいっ!」はテレビで観た。ここに描かれた「信じられるもの」「日常を忘れて心酔できるもの」はあくまで「他の誰か」が演出したエンターテインメントあるいはフィクションなのである。しかし登場人物達は(おそらくオウムの信者らも)現実(自己)とそれら対象との距離感を失い、客観性が上手い具合に消された世界〜麻薬的で排他的で盲目的な世界〜に嵌り込んでいくのである。これらの芝居(物語)は「(村上春樹の言葉を借りれば<注>)フィクションと実際の現実との間に引かれている一線をうまくあぶり出せなくなった」人々が起こした惨劇であり、悲劇なのである。その惨劇は1995年に起こり、悲劇は今も尚続いているのである。三作目の「南へ」は今年の三月の連休に東京に観に行く予定を立てていたが、今回の震災で断念した次第である。誠に残念。

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 1995年の8月15日は終戦(敗戦)50周年であった。
 こういう意味においても、この年は日本にとって区切りの年だったのである。そして村山談話である。村山さんは阪神淡路大震災の際に初動対応の鈍さで批判されたが、この談話で歴史に残る総理となった。この談話内容は色々と論争の的にはなっているが、一応戦後50年を総括する真摯な態度が貫かれたものだと私は評価している。その後の首相達もこの談話を基本的に踏襲しているわけだしね。

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 そして1995年12月28日に「映画」は満100歳をむかえた。
 映画のはじまりをどう考えるかは諸説(1892年のキネトグラフ〜ロールフィルムに連続写真を撮影する装置、1894年のキネトスコープ〜一人だけが覗き穴から動画フィルムを見る装置で、 エジソンの発明の一つ)がある。しかし一般的には、フランスのリュミエール兄弟が1895年2月に「シネマトグラフ」を開発し、その夏に様々なドキュメントを撮影して写真協会などの学会・総会などで上映も行い、ついに12月28日にパリのあるカフェの地下に観客を集めて有料上映した、その日、そのときが「映画の誕生」と言われている。おそらくこの観点から「撮影、音響、編集などが完了した時点ではまだ単なる『フィルム』であるが、そのフィルムに光が当てられ、白いスクリーンに映し出された映像が多くの人々の眼に飛び込んできたときに初めて『映画』となる」という解釈が成立するのである。
 私は1975年から自分独自の映画ベスト10を選出し、現在に至っている。1995年の私のベストワン映画は何かというと・・「レオン」である。15年経った今でも、文句なしだな!(その年、一般的には「ショーシャンクの空に」がベストに選ばれる傾向にあった。私はこの映画は少々感動強要の臭みが気に入らなかった。)登場人物の個性と心情をしっかり描き、アクションとサスペンスのキレも最高。ジャン・レノ頂点の演技であり、ゲイリー・オールドマンの怪優としての開花であり、リュック・ベッソン監督の最後の輝きであった(近年の彼の監督作品には失望を通り越して、怒りを感じる!)。スティングが唄うテーマ曲「The Shape of My Heart」はスタンダードナンバーとして歌い継がれている。そして、何よりも衝撃的なナタリー・ポートマンのデビューである。彼女は、私を含めた、全世界の「オッさん」の心を鷲づかみにした。その後、派手さは無いものの着実にキャリアを積み上げ、ついに今年のアカデミー主演女優賞を「ブラック・スワン」で獲得するに至っている。実に、めでたい!めでたい!

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 映画が100歳の誕生日を迎えた翌日、私ら夫婦は結婚10周年を迎えた。
 
 1995年はそんな年だった。

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 最近、泣ける唄がある。食道癌と闘い、今年復帰を果たした桑田佳祐の新曲「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」である。

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・・・今はこうして大人同士になって失くした夢もある
   時代(とき)は移ろう
   この日本(くに)も変わったよ、知らぬ間に・・・・

・・・現在(いま)がどんなにやるせなくても
   明日(あす)は今日より素晴らしい
   月はいざよう秋の空
   月光の聖者達(Mr. Moonlight) Come again, please.
   もう一度、抱きしめたい・・・・・

 メロディは相も変わらぬ「桑田節」であるが、3.11後を生きていく日本人の一人として、このような歌詞を切々と唄われると身体の芯が熱くなるのである。特に1995年を回顧しつつこの曲を聴くと、「 明日(あす)は今日より素晴らしい」と言い切らねば前に進めない切なさが、より一層心にしみるのである。

<注>村上春樹:雑文集「アンダーグラウンド」をめぐって p204-205


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by nikikai_sapporo | 2011-05-03 18:15 | Dr.門脇 繁