歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo

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【機能と形態】

体重と健康維持のためにスポーツクラブに通ってかれこれ20年になる。食事もそれなりに注意しているためか体重に変化は無いが、体型は 少し変わった。いくら腹筋運動をしても下腹が引っ込まないのだ。13年間飼っていたコーギーが昨年天国に旅立ったので朝夕の散歩をしなくなった。そういうこともあって週末は意識して自宅近郊を歩くことにした。

幸い家の近くから10分ほど行くとすぐ坂道になる。伏見のバラ園や旭山公園、日によっては界川から円山西町を経由して円山山麓を一周する。気が向くと大倉山まで歩く。余力があるときはジョギングしている人の後ろを少し走ってみたりする。けっこうな勾配が続くので平地よりだいぶエネルギーを使い、汗が吹き出てくる。 都心を離れたこのあたりは自然に恵まれ、四季の移ろいがより身近に感じられるのがいい。

趣味とまでは言えないが建築を見るのが好きだ。それは公共の建物でも商業ビルでも個人の住宅でもよくジャンルを問わない。

ウォーキングの経路にはハウスメーカーの建てた住宅以外に自由設計の家も多く目にする。いわゆる豪邸もたくさんあるがそのほとんどは自分の好みに合わない。ずいぶん費用をかけたであろうに、もう少しセンスのある設計をしたらよかったのにとか、よい建築家にめぐり逢えればもっと洗練された家になったはずなのにとか、心の中で勝手に「大きなお世話」をしまくっている。

めったに無いが自分の感性に少しだけ一致する建物もたまにある。それには共通性があって、直線を生かして無駄な装飾が無く大きなガラスの開口部を持ったシンプルなデザインのものだ。縦と横のバランスも重要だ。横の直線を生かしたものが好きだが敷地面積が限られている中でそれを実現するのは難しい。建築家の腕のみせどころでもある。

つまるところ究極の自分の好みはミース・ファン・デル・ローエに行き着く。専門家ではない限り日本ではあまりなじみがないかもしれないが、ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトと並び20世紀モダニズム建築を代表するドイツの建築家だ。ナチス時代のドイツからアメリカに亡命して教鞭をとったのがイリノイ工科大学だった関係で彼の設計したビルはシカゴに多い。

しかしミースといえばニューヨークで唯一の作品となる1958年竣工のシーグラムビルであろう。敷地に広場を大きく取り、2層分のピロティー上に鉄骨とガラスの壁面でシャープに構成された38階のビルはそれ以降の高層ビル建築のモデルとされ、デザインの完成度においては今に至ってもこれを超えるものはないとさえ言われている。

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ミースを語る時にもうひとつ忘れてならないものにファンズワース邸がある。週末用の別荘として1950年にイリノイ州の郊外に建てられたこの建物にはそのシンプルな外観からは窺がうことが難しい人間臭いエピソードが残っているが、それについてはここでは触れない。

やはり地上から床を離してピロティーとして軽やかさを表し、その上には高層のシーグラムビルとは逆に、横のラインを思い切って強調した鉄骨とガラスの構造体が浮かんでいる。何かを付け加えても何かを取り除いても別なものになってしまいそうなシンプルで絶妙なプロポーションが成立している。この写真を初めて見たときは奈良の正倉院を連想した。住む人を峻別する建物と言えるかもしれない。

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ミースの建築コンセプトは“Less is more”だそうだ。「無駄がないほど得るものが多い」、あるいは「省略の美」ということか。逆説的に聞こえるが、まさに言い得て妙ではないか。直線的なシャープさと装飾性を極力取り去ったシンプルなデザインがモダニズム建築の特徴のひとつだが、その無機質さを受け入れられない人もいるだろう。それは人それぞれの好みの問題なので仕方がない。

しかしすでに半世紀以上の年月を経た今にいたっても何ら古さを感じさせず、「モダニズム」の文字通りわれわれに現代的な感覚を与えているのは、人の感性に訴える何らかの不偏性を秘めているからではないのだろうか。

外観と機能を調和させて依頼主に100%の満足を与えてくれるのが真に優れた建築家とするなら、安藤忠雄の初期の設計で若き時代の代表作といえる「住吉の長屋」はどうか。3軒に連なった木造長屋を切り離したその真ん中に、コンクリート打ち放し住宅がある。古い住宅密集地にあって異形とも言うべきコンクリートの建物は際立って目立ち、住む人の(あるいは設計者の)強い主張が感じられる。

わずか14坪の敷地に建つ間口3.3m、奥行き14.1mの細長い建物の中央に吹き抜けの中庭があり、居室はこの庭によって前後に分断されている。意外ともいうべき大胆な発想と独創性が評価されたのか1979年に日本建築学会賞を受賞した。

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吹き抜けの中庭から十分な採光が確保され、四方をコンクリートの壁に囲まれているので隣家からの目線も遮られプライベートも確保される。しかし2階や前後の部屋への往復には必ずこの中庭を通らなければならないために、いったん戸外に出ざるを得ない構造になっているのだ。雨の日は傘が必要だろうし、靴もはき替えなくて はならない。

極度に限られた条件の中で、自然を感じられる居住空間を創るという建築家の確たるコンセプトは非凡であるとしても、こうなると家に合わせて生活する住み手の努力と忍耐が必要になる。もちろん、ほとんどの建築家は限られた予算や敷地の条件下で、クライアントの要望を最大限取り入れて期待以上の提案をするものである。

機能と形態については歯科の分野でも常に不可分な関係がある。咀嚼に際しては、まず前歯で食物を確保し次に小臼歯で細断し大臼歯でさらに細かく噛み砕く。その際食物が上下の歯列の間にうまく位置するよう舌が絶妙な動きで協調する。上下それぞれの歯はその働きに応じた形をしている。

人工的に作った歯冠や義歯を用いて失われた形態を回復するときには、残った歯列やその人固有の顎運動にぴったり調和するように100分の1ミリ単位で調整する必要がある。治療した歯を意識することなく自然に食べたり話したりできることが治療成功の条件になる。

しかし時には我々がよしとした治療でも患者さんに必ずしも満足されないことがある。咬合のバランスに問題が残っていることもあるが、よく聞いてみると口元のしわを目立たないようにしたいとか、歯の色をもっと白くしたいとか主に見た感じのイメージの改善を訴えることが多い。

そういう時はこちらが不自然とは思っていても、機能を阻害しない範囲で患者さんの希望を最大限尊重する。患者さんに喜んでもらえるのが一番と思うからだ。

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by nikikai_sapporo | 2009-05-24 12:21
~「映画の言霊」を読んで~

最近読んだ映画関連の本で面白かったのは、重田サキネ著「映画の言霊」である。この本は北海道新聞の夕刊に3年ほど連載されていた映画のセリフに関するコラムをまとめた作品である。チョイスされた映画とセリフ、そしてそのセリフからくみ取る人生訓の切り口が、巷に溢れる「名セリフ集」の類とは一線を画し、すこぶる新鮮である。強いてマイナス点をいえば、チョット説教くさすぎるところだと思うが。

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この本に掲載されたセリフの中に、私のお気に入りのセリフが2つ取り上げられていたので非常にうれしく思った。今回はこれら2つのセリフについての私的考察である。

*****

「人生には目撃者が必要なの」~映画:シャル・ウィ・ダンス? より

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日本映画の傑作「Shall we ダンス?」のハリウッドリメイク版の中のセリフである。リチャード・ギア扮する夫が社交ダンス&ダンスインストラクターに「恋」をする。それは「日常」=「妻」に対する「非日常」=「浮気」と言えるであろう。この物語が下世話なドロドロした話にならないのは、日常と非日常の存在意義をひっくり返そうとするのではなく、日常に踏みとどまりつつ非日常から得た生命力(生き生きした感情)を日常にフィードバックしていこうとする展開だからだと思う。

日本版では夫(役所広司)の踏みとどまり方が共感を呼ぶが、ハリウッド版では妻(スーザン・サランドン)の踏みとどまらせ方が素晴らしい。日本版では妻の描き方がかなりあっさりしているのだが、妻の存在感を映画の核に据えたハリウッド版の脚色はこの点において出色の出来映えだと思う。夫婦とは何か?結婚とは何なんだ?と改めて考えてしまう状況下で、妻が夫に発する決めゼリフが「人生には目撃者が必要なの」である。

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「目撃者」とは何か? 独身者である重田サキネ氏の言葉を借りると「感情や思い出を共有する相手」ということになるが、その表現はちょっとキレイすぎる。 原語では確かwitnessだったと思うので、「証人」でも「立会人」でもいいわけだ。私としては「証人」が一番しっくりする。

結婚とは、これからの私の人生で起こる良いことも悪いこともすべてにおいて「コイツが私の証人ですよ」と宣言することなのだと思う。妻(あるいは夫)とは人生すべてを見られてしまう存在ではなく、見守ってくれる存在なのだと思いたい。ガーシュウインの名曲でいえば ”Someone to watch over me”なのだ。

私の寿命が尽きて三途の川を渡り、閻魔大王の前で裁きを受けるとき、弁護側の証人として出廷するのも検察側の証人として証言するのも「ウチのカミさん」なのである。ありがたや、ありがたや。こんなとき証人としてだーれも出てきてくれなかったら、そりゃもう悲しくてつらくて、死んでしまいたくなるはずなのだ。いや、そのときにはもう死んでいるのかぁ・・。

*****

「本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」~映画:椿三十郎 より

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これは黒澤明の超有名作品の名セリフである(森田芳光監督の2007年リメイクは全く同じ脚本を映画化しているので、当然このセリフも出てくるわけである。何という冒険!とういうか暴挙!?)。迷うことなく敵をばっさばっさと切り倒す三船敏郎=椿三十郎に対して、老奥方=入江たか子が諭すように「あなたはギラギラした抜き身の刀の様。 本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」と言うのである。

重田サキネ氏の現代的捉え方が実におもしろい。彼女曰く、現代人(特に若者)は良くも悪くも「鞘に収まった刀」ばかりなのである、と。その不気味さと抑圧をため込んだ「刀」は、稀に世間に飛び出す「抜き身」に対して過剰な嫉妬とバッシングをぶちまけるのである、と。

「抜き身」と言ったって、三船=三十郎のように凄腕の本物はほとんどおらず、たまたまキレて本音をバリバリ前面に出す奴とか、自己表現がすべてと言わんばかりに吠えまくる奴とか、「目立つ馬鹿」がほとんどなのだ。しかし「ギラギラした本物」と「目立つ馬鹿」との違いなど「鞘に収まった刀」集団には関係ないのであって、お構いなしにどちらもこっぴどく叩かれまくるのが現代なのだ。

なんとも嫌な御時世である。

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私の長年の座右の銘は「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」である。多少「能」と思われる様なものを持ち合わせてはいるかもしれないが、多くの「能無し」部分に紛れさせながらおとなしくしているのが良いよね、っていうことである。

私はこれで生きてきました。

しかし、このセリフに対する彼女の捉え方を読んで、これではダメなのか?と思えてきた。だって「能ある鷹は爪を隠す」という美徳が充分成立する世の中であればこそ「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」ことに意味があるのだから。
みーんな「能のあるなしを問わず爪を隠している」世の中じゃ意味無いジャン、ということになる。

そこで自分にこう問うわけだ。

自分の「能」を評価してもらえるようしっかり努力しているのか?いざというときのために「爪」や「刀」の手入れはぬかりないか?
自分が「抜き身」になったとき「目立つ馬鹿」ではないと自ら証明できるのか?他人の「鞘」を見て、その中の「本当にいい刀」を見抜く眼力を持っているのか? 

恥ずかしながら、答えはNOである。
要は「本当にいい刀」への道は険しい、ということなのだ。

このセリフに呼応するように映画のラストの対決では、三船=三十郎も仲代達矢=室戸半兵衛もなかなか刀を鞘から抜かず、長らく睨み合う。ついに抜かれた二本の刀は一瞬ぎらりと光り、そして究極の仕事をした「本当にいい刀」の方だけが静かに元の鞘に収められるのである。

やっぱり「本当にいい刀」は鞘に入っているのである。

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by nikikai_sapporo | 2009-05-02 12:26 | Dr.門脇 繁