歯科医師が綴るコラム集やお知らせなど【二期会歯科クリニック】札幌市中央区北3条西2丁目 NC北専北3条ビル8F/TEL:011-251-2220


by nikikai_sapporo

カテゴリ:Dr.門脇 繁( 11 )

〜「言語」によって「世界」は違って見える?〜

 2017年も早いモノで、あと一ヶ月を切ってしまった。今年の私の映画ベストワンは『メッセージ(原題:ARRIVAL)』になると思う(まだ確定してはいないけど・・)。
 この映画は中国系アメリカ人作家テッド・チャンの『あなたの人生の物語』というベストセラーSF短編を原作としている。この原作短編を読んだ印象は、理屈っぽく、観念的で、SF小説を読み慣れていない私にとっては少々肩すかしを食らった感じがした。
 映画の方は原作短編のイメージを膨らませ、極上エンターテインメントとして仕上げた優れものである。監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ(彼は『ブレードランナー2049』の監督でもある)。ある日突然、地球上の十数カ所に宇宙船が飛来する。エイリアンの飛来目的は何かを探ろうとして、世界各国で様々な学者たちが召集されエイリアンの言語を解析が行われていく。

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 この映画について書きたいことは山ほどあるのだが、今回のテーマは「言語」である。

 主人公である女性言語学者がハンコに似た象形文字風のエイリアン語を解析していく過程で「サピア・ウォーフの仮説」という考え方が引用される。ネットでこの仮説を調べてみると、様々な言語学的あるいは心理学的な考察、仮説への批判、近年の再認識の状況などが語られている。この仮説をかいつまんで言えば、「使う言語が違えば、周りの世界の見え方も違うでしょ。」ということである。
 例をあげてみると・・・・
1)我々日本人は虹を7色と認識するが、色の微妙な違いを表す言葉がない言語圏の人間は虹を6色以下で認識している。
2)「上下左右」という相対方位の表現を持たない言語圏の人間は日常生活の中でも「彼はスプーンを南東に置いた。」というふうに東西南北という絶対方位で表現する。
3)数を数える単語がない言語を使う民族は「ちょっと」「まあまあ多い」「いっ〜ぱい」ぐらいの大雑把な認識しかしない。
・・・・とまあ、こういうことらしい。

 日本語で思考する世界、英語で思考する世界、フランス語で思考する世界、そしてエイリアン語で思考する世界はそれぞれ違って見えるのだろうか?この仮説が正しいとすれば、世界はかなり違って認識されていることになる。映画『メッセージ』では、エイリアンの言語を解析し理解していくにつれて、主人公もエイリアンの思考回路や世界観・現実認識(ものの見方・見え方)ができるようになり・・・嗚呼、ここからはネタバレなので・・・ダメよダメダメ(古い!)。

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 話は少々飛ぶのだが、今年、外国人と楽しくお酒を飲みながらお話しする機会があった。もちろん会話は日本語!一人はうちのカミさんの友人の御主人(イギリス人)で、函館で大学教員をされており、函館と札幌とで二回お会いした。もう一人はうちのカミさんの音楽仲間が通うフランス語学校の校長先生(フランス人)で、学校の音楽祭(?)の打ち上げを我が家で行った際にお会いしたのである。彼らはそれぞれ日本に二十年以上住んでいて、誠に見事な日本語を話される方々である。二人との会話で感じたことは、彼らは日本語を喋るという次元を超えて、日本語で思考する世界を私と共有できているという点である。これは本当に素晴らしいことである。とりわけイギリス人の先生が凄いのは、自分が喋った日本語表現が適切であるかどうか常に反芻し検証しているというのだ。これは母国語である英語で思考する(認識する)世界と日本語で思考する(認識する)世界のすりあわせを常に行っているということに他ならない。バイリンガルということは、単に複数の言語をコミュニケーション・ツールとして話せるということではなく、複数の言語で認識される複数の世界感をシームレスに行き来できることを意味しているのである。この二人の外国人はまさしく本物のバイリンガルであった。

 私はというと、自慢じゃないが語学センスは全く無しである。受験勉強としての英語は「読み書き」として一応、身につけてはいる。しかし「話す聴く」というのがダメである。言い訳がましく言わせて貰えば、日本の英語教育のひずみを一身に背負っているような男である。何せ元々おしゃべり人間である私の頭の中は、花火大会の夜の豊平川河川敷にうごめく群衆の如く、言いたいことが溢れかえっているのに(もちろん日本語、北海道弁で考えている!)、それらを英語でろくに表現できない嘆かわしさよ!海外旅行の際などは、映画の中の高倉健のように無口にならざるを得ない。このようなストレスを乗り越えた先に、語学習得の道が開けるということは判っている。がしかし、そのハードルの高さを人一倍感じてしまう自分がいる。もしも私が日本語の通じない世界に放り込まれたら、考えること自体面倒になって、表現できる範囲のことしか考えなくなって、全くつまらない人間になってしまって、私が認識できる世界はどんどんちっぽけになって・・・・そんな恐怖にさいなまれるのである。


 ある休日の夕飯を、うちのカミさんと娘、そして娘のカレシと4人で食べた時のことである。カレシはニュージーランドと日本のハーフで英語が母国語であり、カレシの日本語は私の英語と似たような程度である。

 カレシが「キョウハ、ナニヲシテスゴシマシタカ?」と私に尋ねる。
 私は「今日はね、映画のはしごをしたんだよ。」と言いたいが・・・
 んんん?さすがに「ladder of movie theaters」じゃ、通じねーだろ。
 娘に「映画のはしご」ってどう言うんだ?と私は訊く。
 娘は「映画を二本観た、でいいんじゃないの」、と面倒くさそうに答える。
 「いやいや、違う。『はしご』って言うニュアンスをどういうんだ?
 英語でも何軒も酒飲み歩くってぇいう表現はあるだろう。
 その『はしご』をカレシに訊いてくれ。」と私が言う。
 娘はゴショゴショとカレシに説明している。
 彼は頭の上に『はてなマーク??』を浮かばせながら、「・・・PUB CRAWL」と発する。


 そうか!英語で思考する世界では、はしご酒する酔っ払いはパブからパブへとウィスキーの海をクロールで泳いでいくのか!しかし日本語で思考する世界では(私だけかもしれないが・・)はしご酒する酔っ払いは居酒屋と居酒屋の間に長〜〜い梯子をかけて、そこを四つん這いになってヘロヘロと渡っていくんだよ。映画館と映画館の間にも長〜〜い梯子をかけてモグラのように光を避け、目を細めながら四つん這いで渡っていくんだよ。二本立ての映画を観たのとは、異なる認識なのだよ・・・・などと頑固に考えているうちは、語学習得もしくは複数の言語で認識される複数の世界感をシームレスに行き来することなど・・・・夢のまた夢なのであった。


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by nikikai_sapporo | 2017-12-03 12:51 | Dr.門脇 繁
〜50半ばの『初体験』〜

 あっという間に2016年が過ぎ去り、また新しい年が始まった。昨年を振り返ると、いろいろな「初体験」をした年だった。「初体験」などと書くと、「胸がキュンとするような」体験やら、「甘酸っぱさがこみ上げてくる」想いなどを思い浮かべるかもしれないが、そんなわけないでしょ?この年になって「胸がキュンとするような」ことがあったら心筋梗塞の発作を想定すべきだし、「甘酸っぱさがこみ上げてくる」なら疑うべきは逆流性食道炎である。ここで私が言いたい「初体験」とは、50半ばという年になるまでチャンスがなかったり、食わず嫌いや苦手意識があって敬遠していた「日本の文化・芸能」に昨年初めて接する機会を得たという話である。

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 『狂言』を初めて鑑賞した。
 こんなに面白いものとは知らなかった!前振り解説を野村萬斎自らみっちり30分やってくれたおかげで、私のような全くの初心者でも「見方」「楽しみ方」の基本を理解できた。
 演目は「孫聟(まごむこ)」と「蝸牛(かぎゅう)」。「孫聟」では野村万作が仮面をかぶったままで翁を演じたのだが、彼の動きはどこかで見たことがあると思った。そうそう!この動きはスター・ウォーズのヨーダそのものだ!ヨーダはヨーダでもエピソードⅠ〜Ⅲじゃなく、Ⅴのヨーダである。きっと人間国宝はフォースが使えるのである。「蝸牛」では、野村萬斎の挙動と声に魅せられた。キビキビとした身のこなし(こんなカタツムリはいないのだが・・・)、「イエェ、イエィ」と会場に響く声の張りは何とも素晴らしい。話はそれるが、イエイエといえば、60年代のアイドル系フレンチ・ポップの呼称で、日本ではレナウン娘のCMソングである。な〜んていう余計な思考が、萬斎の「イエェ、イエィ」を聞いていると、頭をよぎってしまう。困ったもんだな。
 狂言の題材の根幹は「大きな勘違い」や「感情や思惑のすれ違い」など、落語のそれと通じるものがある。そういえば数年前に立川志の輔が「志の輔らくご in PARCO」で狂言師と共演していたのを思い出す。そして狂言の「間の取り方」や「反復の変化」は「コント」の原型ともいえる。特に「孫聟」における「反復の崩し(一、二度同じ動作が繰り返されるが、三度目で違う動作に変化する)」が笑いを生むという理屈は、サイレント時代のチャップリン喜劇の基本でもある。「狂言」とはコメディの原点、ルーツ。納得である。


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 『鼓童〜和太鼓』を初めて体感した。
 鼓童とは、佐渡島を拠点として国際的な公演活動を展開するプロ和太鼓集団である。ちょっと前までは「太鼓叩くのを金払って観に行くなんて・・・」と思っていた。今となっては、何がきっかけで鼓童の公演に行こうと思ったのかよく憶えていないのだが、きっと芸術系の神様が私の耳元でこうささやいたのである。
   「和太鼓を体感しなさい。」
 鼓童のパフォーマンスの中心は様々な打楽器で、その中心的存在は巨大なる和太鼓である。この和太鼓の音は「聴く」のではなく、全身で「体感する」ものであった。太鼓の音圧によって、私の猫背はシャッキリ伸びて座席の背もたれにビタ〜っと張り付き、おしりはシートに深く沈み込んだ。そして私の体の芯の部分が振動する。それはその時点の肉体的「芯」というだけでなく、時間軸を遡った原始的「核」とも言うべき部分が共振を起こしているかのようであった。この集団のパフォーマンスはそれだけではなく、踊り、唄い、笛を吹き、演じる。とりわけチョウチンアンコウのような衣装と演出には舌を巻いた。そして公演のラストはメイン演目「螺旋」。圧巻であった。この演出・衣装デザインは坂東玉三郎であった。おいおい、ここで歌舞伎がリンクしてくるのかぁ。


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 『歌舞伎』を初めて覗いてみた。
 私の芝居(鑑賞)の師匠的存在である友人が数年前から本格的に歌舞伎にハマりだし、何度となく私に歌舞伎の素晴らしさを語ってくる。そのたびに「そうねぇ・・歌舞伎とオペラは寝てしまいそうでなぁ・・なんだか勉強しなきゃならないようで・・・解説(今時はタブレットなんだそうだ)見ながらってのも面倒そうだし・・だいたい歌舞伎観に行く連中のチャラチャラ着飾ってるところが気にくわねぇ・・・」などと言って敬遠してきた。それでも落語の芝居噺を楽しむには歌舞伎を知らなければならないし、長唄をはじめ端唄・小唄に常磐津・浄瑠璃、私の好きな都々逸などの「粋」を味わうには歌舞伎が基本である。よってちょいとハードルの低い初心者向けの演目が札幌に来ないかなぁ、と思っていた。そこに来ました「古典への誘い」という特別公演!演目は「勧進帳」。出演は、弁慶に市川海老蔵、安宅(あたか)の関所の役人富樫に中村獅童。これでしょ!
 お目当ての「勧進帳」の前に、能楽舞囃子「安宅」という演目も行われた。勧進帳の元ネタは「能」の演目で、今回の演目「安宅」はその簡易バージョンなんだそう。これは眠くなってしまった。一人で舞っているはずなのに、重いまぶたの隙間から舞台を見ると二人シンクロして舞っているのが見える。いあやはや、もう能死じゃなく脳死状態である。
 さあ、気を取り直して勧進帳だ!海老蔵の色気と見栄のオーラにやられた。凄い!の一言である。獅童と並ぶとやっぱり役者が違う、ということが解る。しかし、海老蔵の声はややハスキーで会場内にビシッと通らないことも解った。前述の友人の話によると、勧進帳の弁慶はもっと格の高い古株役者がする役で、まだまだ海老蔵は「若手」なのでこの企画は地方巡業的な位置づけなのではないかということ、また彼は見栄は決まるがストーリーを進める際の芝居が今ひとつなんだそうだ。さすがに奥が深いわ。
 この弁慶と牛若丸の話は、映画でいえば黒澤明監督の「虎の尾を踏む男たち」であり、落語「青菜」の隠し言葉遊びのネタでもある。昨年9月に初めて京都・鞍馬山に登ったのだが(これも初体験!)、鞍馬山こそ弁慶と牛若丸の話にどっぷり関連しているわけで、おいおい、いろんなものとリンクして来るぞ!と感慨に浸ってしまうわけである。


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 初体験ネタの最後に、日本文化・芸能ではないが「これぞ!」という初体験をしたので書いておきたい。2016年10月16日プロ野球パシフィックリーグ・クライマックスシリーズ第5戦、宿敵ソフトバンクに対して日本ハムが7対4とリードでむかえた9回の表、日本のプロ野球ファンがかつて聞いたことがない「初体験の球場アナウンス」が告げられた。私はこれを4万人以上の観客と共に札幌ドームで聞いたのである。
  「日本ハムの守備の交代をお知らせします。指名打者大谷が、ピッチャー!」
一瞬、ドームが静まりかえった。一秒、いや、もっと短かったかもしれない。私を含めた観客たちが、アナウンスされた言葉の意味を理解するのに0コンマ何秒必要だったのだ。そして怒号のような歓声が沸き立った。地響きだ。その後の大谷君のピッチング(私個人としては時速165キロの直球より、時速151キロのフォークボールに感激した。)、そして日本ハムの日本シリーズ優勝は皆様ご存じの通りである。後から聞いた話だが、テレビ観戦していた人は大谷君がブルペンで肩を作っているという情報が知らされていたので、彼がいつリリーフ登板するかと期待していたそうだ。しかしドームの観客たちは(球場内のテレビモニターを見ていたり、ラジオ放送を聞いていた人は別にして)そんなことは全く知らずに、あのアナウンスを聞くことになったのだ。あの場面、札幌ドームに居て本当に良かった。あんな凄い初体験はないでしょ?


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 そんなこんなの初体験であったのだが、長年体験(経験)を積んできた映画の方はといえば、昨年もたくさん観た、もちろん。「バットマンVSスーパーマン」「キャプテンアメリカ/シビル・ウォー」「ファンタスティックビースト」「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」などの話題作ヒット作はどれも面白く、充分楽しめた。これらはすでに過去の作品で作られた世界観があり、その中に安心して入り込めるという利点を持った作品群である。しかしこれらの作品群の最大の弱点は「既視感」なのである。映画は「安全牌」ばかりじゃ、つまらない。映画史の中でマイルストーンと呼ばれる映画〜「ゴッド・ファーザー」「スター・ウォーズ/エピソードⅣ」「マトリックス」などを観た時の衝撃は忘れがたく、それはまさしく「初体験」といって良いのではないか?と思う。強く、強く心揺さぶられる映画には何かしら「初体験」の要素が含まれている。「こんな映画は初めてだぜ!」思わずこんなセリフを言いたくなる出会いこそが、まさしく映画の醍醐味だ。そんな「初体験」を求めて、今年も毎週のように映画館に通う私なのである。


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by nikikai_sapporo | 2017-01-08 23:41 | Dr.門脇 繁
『是枝監督と仕事する、私のパラレルワールド』

 二期会歯科スタッフコラムも今回で100回目です!月一回の更新ペースをほぼ守り、8年ちょっとでここまで来ました。まあ、書き手が多いのでコラム当番は年に一回ぐらいしか回ってこないのですが、毎回「何を書こうか??」と頭をひねり、困り果てることもあるのです。それでも細々と続けられたのは、きっと、ものすご~く数少ない読者の皆さんのおかげであり、また「一度始めたことは、そう簡単に匙は投げないぞ!」という編集者の意地の賜物?なのだと思います。あっ!そうそう、8年間このコーナーの編集担当、実は私です。う~ん、自画自賛ですみません。

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 是枝裕和、という映画監督。現役の日本映画監督の中で私が最も「次回作」を期待する監督であり、過去の作品のほとんどが私の琴線に触れまくる監督である。しかし、昨年公開の「海街diary」を観る前は少々不安があった。原作がコミックで、自分たちを捨てた父の死をきっかけに腹違いの末っ子を引き取って鎌倉の旧家に暮らす、4人姉妹の日常を描く映画。う~ん、これじゃオジサンが入り込めるような映画じゃないぞ!と危惧していた。しかしである。それぞれ魅力的な4姉妹の日常と彼女たちの心象の揺らめきを描きながら、くっきりと浮かび上がってくるのは一度も画面に登場しない「彼女たちの父親の存在」であった。つまり「不在の存在」を描いた映画と解釈した。「不在の存在」というエアーポケットのような空白部分に自分を組み入れた瞬間、体の芯が強く、強く揺さぶられる感動に包まれ、またしても是枝にヤラレタ!と思った。文句なしの2015年日本映画のベスト1だった。(と言うものの、私は日本映画をほとんど観ていないので、少々誇大広告かもしれないが・・)

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 その「海街diary」がこの1月シアターキノで再上映された。しかも1/31は映画上映後、是枝監督のトークショーがあるというので、朝もはよから(9:30スタート)参加した次第である。
 トークショーのお相手は外岡秀俊氏である。彼は私の高校の先輩であり、東大在学中に執筆した、石川啄木をモチーフにした小説「北帰行」で文藝賞を受賞した。私も高校生のときにその小説を読んで、「すごい先輩がおるんだなぁ・・」と恐れ入ったのであった。その後、彼は小説家ではなく朝日新聞社編集局長となり、近年早期退職して札幌に戻り、また執筆活動を行っている。

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 さて、トークショーは40~50分程度の短い時間であったが、すこぶる面白かった。話題は「海街diary」の撮影時エピソードや制作意図の話、これまでの是枝作品群の共通視点など・・あともう二、三時間は聴いていたいと思えた。たとえば監督は、カンヌをはじめとする映画祭などで、外国人記者から辛辣な質問や自分でも気づいていない視点からの鋭い質問をよく浴びせられるそうだ。「あなたは取り残された(捨てられた)人たちを描く作家だが、あなた本人はそれに気づいているか?」「あなたは捨てられた経験があるのか?」などなど・・。末娘役の「広瀬すず」は本人の意思で台本なしの口立て方式を選び撮影に臨んだそうで、監督曰く「いやぁ~台本なしで大竹しのぶ相手に芝居するんだから、すごいよね、彼女は。」!!長女役の「綾瀬はるか」は実に芝居のぶれない人で、彼女が軸となって芝居を組み立てることができた。がしかし「カット!」と声がかかった後は、「次のシーンまで何して遊ぼうか?」と急に彼女が末っ子になってしまう(予想通りの)天然キャラの持ち主だそうだ。
 トークの後半は、是枝監督が委員長代行をつとめるBPO・放送倫理検証委員会から昨年11月に出された~NHK総合「クローズアップ現代」“出家詐欺”報道に関する意見書~についての話題であった。意見書の主旨は今回のやらせ取材を行ったNHKにお灸を据えることであったが、それと同時に意見書の最終項目「おわりに」の部分において「公権力による放送への介入」に対する重要な指摘を行っている。この点についての是枝監督の考え方・視点が語られたわけである。詳しくは以下のリンク記事を参照してもらいたい。私はこれらの記事を今回のトークショー前に予習しておいたが、「放送法」という法律の歴史的背景から現在問題となっている政府関係者の言動の矛盾点に至るまで、実に勉強になった。

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http://www.kore-eda.com/message/20151107.html
http://www.kore-eda.com/message/20151117.html
http://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2015/23/dec/0.pdf

               ********

 是枝監督の生トークを聴いているうちに、私のパラレルワールドの存在が明確に感じ取れるようになってきた。そのパラレルワールドでは、私は是枝監督と仕事をしているのである。んんん?何じゃそれ?
 私は大学受験に際して歯科医師になることが第一志望であったが、一年浪人した時点でもう一つの進路として演劇・映画関係やメディア関係を考えていた。そこで選んだ大学が早稲田大学第一文学部で、選択科目(英・数・国)の幸運から合格できた。北大歯学部の方が落ちたら早稲田に行く気満々だった。幸い北大も合格できたが、早稲田への未練も相当感じていた。ここで私のパラレルワールドへの分岐点が現れるのである・・・・。
 そのパラレルワールドにおいて、私は北大を蹴って早稲田に行く。学科選択は学芸科である。映画馬鹿の私は当然のことながら、興味の湧く授業以外はサボって映画館に入り浸る毎日を過ごしている。留年もしただろう。そうこうしているうちに二歳年下の是枝裕和という男が同じ学科に入学してくる。同じ授業、同じゼミ、あるいは高田馬場や新宿の映画館ロビーで彼と出会うことになる。この男、めっぽう才能があって了見が素晴らしい。意気投合して酒を酌み交わし、映画のこと、将来の仕事のこと、日本の未来について語り合う。その後の彼は(ご存じのように)テレビ制作会社に就職し、ADを経て優れたドキュメンタリー番組を手がけた後、大監督への道を進むこととなる。彼より先に卒業した私は、映画宣伝関係か制作関係、あるいは映画技術部門の仕事をそこそこやっていったであろう。今世紀に入って是枝監督から声をかけられ、何本かの作品に関わり一緒に仕事をする機会に恵まれる。そして2014年、彼が立ち上げた映像制作集団「分福」に事務方あるいは裏方コーディネーターとして参加し、現在に至っている・・・。
 うはぁ~~我ながら凄い妄想力!!竹でいえば孟宗竹、キノコでいえば妄想茸?(そんなのあるんか?)でもこういう妄想をするぐらい、是枝監督とは何か「縁」があるような、シンパシーを感じざるを得ないのである。
 トークショー終了後、シアターキノのロビーの一角で監督のサイン会があるというので、受付で是枝裕和対談集「世界といまを考える1」の文庫本を購入し、サインしてもらった。50代半ばのオヤジが、これまた50過ぎのオヤジにサインしてもらうというのは、何だかとても気恥ずかしい。その空気を察したのか、監督の温和な風貌からは俄に想像しがたいほどの鋭い眼、その眼の端に「なんや?このオヤジ?」というテロップが浮かんだのを、私は見逃さなかった。そのときである。パラレルワールドで生きているもう一人の私が、私の体を借りてこう言おうとした。

「おう、是枝!昼飯に行こう。札幌は俺の地元だからさ、ちょいと旨いもの食わせる店知ってるから。」

 危ない、危ない!本当にもう少しで口に出るところだった。これじゃ完全にアブナイおっさんや!すんでのところで思いとどまり頭に浮かんだのは、道新の三面記事の見出し「二期会の理事長、ご乱心!」ヤレヤレ。

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 このコラムをここまで書いて、数日前Amazonから届いた荷を開けた。最近発売になった最新刊第7巻を含めた「海街diary」原作コミック全巻を大人買いしてしまったのである。コミックを読む習慣なんぞ全くないのに、「すずが鎌倉を離れる?」「あの家はどうなるの?」等々、映画を再見した後、原作のその後が気になってしょうがなくなり、買ってしまったのである。さあ、読み始めるか。なんだか「しらすトースト」や「鯵フライ」が食いたくなってきた。

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by nikikai_sapporo | 2016-02-10 07:56 | Dr.門脇 繁
「私家版:映画ベスト10」 

 新しい年を迎えると、前年の映画のベスト10が様々な雑誌や映画団体などから発表されることになる。私が毎年チェックするのは「キネマ旬報」「スクリーン」「シアターキノ」「札幌映画サークル」などのベスト10である。これらはあくまでも最大公約数的な映画評価であることはわかっているのだが、選者らの構成によって微妙な差異が生じるのが興味深い。そして一般の映画ファン、あるいは映画馬鹿と呼ばれる人種の多くもまた、「私家版:映画ベスト10」を決めている(決めているはず?決めずにはいられないはず?である)。もちろん、私もその一人である。

                 ******

 昨年2014年は私が映画ベスト10を決めるようになって、40周年であった。1975年、私が中学三年生の時から、よくもまあ、続けてきたものである。ベスト10を決めるようになる前から、もちろん映画には慣れ親しんでいた。2歳の時に観た(と親から教えられたわけだが)「101匹わんちゃん大行進」が私の映画館初体験である。札幌の中心部、南4条西2丁目で産湯に浸かっていた私の周りには、1960年初頭、映画館がひしめいていた。ワケもわからず父親に連れて行ってもらった「座頭市シリーズ」「007シリーズ」をはじめ、「ゴジラ」「ガメラ」「東映まんがまつり」「ディズニーアニメ」などのジャンルは子供時代の定番であった。中学生になると、少々大人の映画も観るようになり、徐々に映画の虜になっていく。そして1974年から観た映画の全て(テレビ放映された映画を含めて)をノートに記録するようになる。映画雑誌のまねをして、その年のベスト10を自分で決めようと思い立つのが、翌1975年であった。その後の二十年、映画記録とベスト10はノート記載というアナログの時代であったが、1996年からはPCにデータベースとして入力するデジタルの時代となった。2005年には過去のアナログ時代からのベスト10をデータベースに落とし込み、統一フォーマットとした。そしてそのデータをA4二枚/年にプリントアウトして、「クリアファイル」に収納するようになり、現在に至っている。

 ベスト10を決めるにあたり、様々なルールを自分で定めている。基本はその年の1月1日から12月31日までに、札幌で初公開された映画で自分が鑑賞した作品が対象となり、20本の映画を選定する。その中からベスト10ならびに11位から20位までを決める。テレビやレンタルで観た映画は別項目で選定する。俳優や監督、脚本などの部門賞を対象作品から選定する。期待外れだった作品はワースト部門として3~5本選定する。その年のトピックス項目は特別賞として選定する。これらの選定は12月31日の「私の気分」で決める。よって12月31日はこの選定会議(オイオイ、一人で考えてるだけだろ?)が終了するまでは、家族の者は私に話しかけたり、用事を頼んだりしてはいけない!

 こうして毎年選定したベスト10を一覧すると、私の映画の好み・路線が一目瞭然になる。オールジャンルで観るが、ホラーは除く。アクション物(私はこれらをドンパチ映画と言っている)は評価が低い傾向にあり、ヒネリのある人間ドラマに傾倒する。年に1~2本、一般の知名度は低いが自分のセレクト眼を自慢できるような映画を選ぶ。しかし、「ええっ?何でこんな映画が上位にランキングされてるのだ?」「何でこの映画を外しているんだ?」と数年後に首をひねることもある。まあ、ともかくその年の「私の気分」そのものなのだからしょうが無い。さらに40年間のベスト10を眺めていると、その背景に見えてくるのは(格好つけて言えば)「私の人生」そのものである。当時の自分が、何に興味があり、何に心酔し、何に怒り、何に喜びを感じ、そして何に取り憑かれていたか?がすぐさま思い出すことができるのである。

 ちなみに昨年のベスト10はこんな感じ。(毎年同じフォーマット)
注)20本をピックアップしているのでベスト20と表記している。括弧書きで2013とあるのは、東京での公開が前年の作品。

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 実は、映画と「人生」の焙り出し効果は自分にだけで起こるものではない。我が家に遊びに来た「お客人」には、私の映画ベスト10の「クリアファイル」を半ば強制的に(?)ご覧いただくことになっている。これをつらつらと眺める客人は「うん、うん、この映画面白かったなぁ・・。」「この時期は、俺もよく観ていたなぁ・・。」「ん?この辺の映画、全然知らねぇなぁ・・。」「これね、子供を連れて行った。」「レンタルしたけど途中まで観て寝ちゃって、そのまま返した。」などなど・・・・と感想を述べる。それらを聞いていると、その人の人生の流れが想像できるのである。~学生時代は結構映画とのつきあいがあった、デートムービーにはこのジャンルを観ていた、この時代は仕事に追われ、家のごたごたが続いて、映画どころの騒ぎではなかった、子供もある程度大きくなって、アニメなどを一緒に観に行くこともあるけど、DVDレンタルやネットのオンデマンドで観る方が多い~などなど・・。20歳台の若い人の反応も面白い。「これって、全部DVDレンタルして観たんですかぁ~??」(オイオイ!この時代にDVDなんてェもんは存在してねぇし・・。レンタルにしたって、この時代はビデオだし・・。ちなみにVHSとベータってのがあってだなぁ・・などと思わず突っ込んでしまう。)
 
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 先月、新しいクリアフォルダーを買いに東急ハンズに行った。映画ベスト10のプリントアウトはこれまで「クリアファイル」20ポケットのもの二冊に収納してあったが、1ポケット1年でちょうど40年分と満杯になってしまい、この際だからチョットしっかりした装丁のファイルで一冊にまとめられるものを買おうと思ったのである。バインダー風のタイプで、ポケットを追加できるものを選んだ。もともとポケットは30枚で、オプションでポケットを10枚単位で追加できて、最大70枚まで綴じられるものだった。すでに40枚は埋まっているわけだから、あとオプションでポケットを何枚買うか?はたと迷った。「最大まで買うと、あと30年分、俺は84歳だぞ?」「そうか、俺もいつかは死ぬんだったけな。」と恥ずかしながら、初めて本気で死を意識した。昨年、私は病気が発覚し、入院、手術、化学療法・・・色々と闘病生活を余儀なくされた。でも(これも外科屋の性分なのか)こうすればこういう反応や副作用が出るだろうが、この時期を過ぎればこうなっていく、しかるにここを踏ん張ればこう回復するはずである・・と考えてきた。一度も病気を自分の死と結びつけては考えなかった。しかし、たかが映画ベスト10記録を収納する「クリアファイル」を買う段になって自分の死を意識するとは、何ともおかしな話である。まあ、私らしいと言えば、それまでのような気もした。結局、オプションでポケット30枚、合計60枚で手を打った。要は、74歳まではこうして映画を観続けるぞと、心に決めた。もしもそれ以降も続きがあるならば、それはまさしく「余生」とすればいい。よし、それでいい。

                 ******

 家に帰って、古いジャズのレコードに針を落とし、かすかなプチプチ音に耳をくすぐられつつ、ある種の儀式を行うように40年分の映画ベスト10を新しいファイルに整理した。
 そのとき、ふと、今年84歳で元気な私の母親との、こんな会話を思い出した。
「今度の外食、何が食べたい?」
「そうねぇ・・久しぶりに分厚いステーキが食べたいわねぇ。」
オイオイ、84歳って、こんな感じか?もう10枚ポケットを追加で買うべきか?
マジでそう感じてしまった2015年の冬であった。

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by nikikai_sapporo | 2015-03-01 06:57 | Dr.門脇 繁
「心を融かすもの」 

 近年、1~3月にかけて日本で公開される洋画は極めて良質な作品が多いなぁ,という実感がある。3月上旬に授賞式が執り行われる米アカデミー賞の作品賞候補が、従来の5本から9~10本に拡大された影響なのだろうか。また賞に絡む作品群は、その話題性が賞味期限切れにならないうちに早いとこ公開しておこう、という配給会社の魂胆なのか?まあ、そういう邪推はともかく、大げさに言えば「これを見逃すと年は越せない」ような作品は何とか時間を作って観に行かねば!と思うのが、映画オタクの性なのである。
 今年のそうした作品群を何作か観て感じた「共通のテーマ」がある。それは「心を融かすもの」である。

                *****

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』アレクサンダー・ペイン監督作品

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 主人公の爺さんは,雑誌の「釣り」広告にひっかかり、自分が賞金100万ドルが当たったと信じ込んでしまう。その賞金を受け取るために、現在住んでるモンタナ州から自分の故郷ネブラスカ州まで歩いて行こうして、何度も警察に保護される。家族からは「そんなの嘘に決まってるんだから!バカだねぇ!」「もう呆けてるから施設に入れるぞ!」と厳しく叱咤される。まあ、それが世の常識ってヤツであり、理にかなった対処である。そんな中、主人公の次男(実に冴えない中年独身!)が、仕事を休んで車でネブラスカまで連れて行ってくれることになる。賞金は「だまし」であることを父親に納得させて自宅に戻す,というミッションを自分に課したのである。旅の途中でこの親子は、「本当に100万ドル当てた」と勘違いした故郷の旧友や親戚から、様々な金の無心や脅しなどの誠に理不尽な扱いを受けることになる。一方で、自分の父親の過去や生き様が次第に分かり始める。そして次男は、最終的に「常識・理にかなった対処・自ら課したミッション」を超越した「奇跡のような行動」に出るのである。
 
 何が次男の「心を融かし」このような行動を起こさせたのか?

 それは親への理解であり、敬意であり、愛情である。次男は「自分の不甲斐なさや不器用さ、そして押しの弱さはまさしくこの親からの遺伝なのだ!」というありがたくない実感と、自己憐憫にも似た心情があったのかもしれない。「優しさ」という言葉には私はある種のアレルギーがあるのだが、この次男の行動の根本にある「優しさ」には強烈なショックを受けてしまった。「心を融かすもの」に接しただけでは、「心は融けない」のである。受け手の「優しさ」という資質があればこそである。この映画は「あんたにこの資質はあるかい?」と問いかけてくる。私は自信なく「ここまでは、ちょっと・・・無理かも」と答えるしかないのである。文句なしの今年のベスト1候補作品である。

                *****

『ウォルト・ディズニーの約束』ジョン・リー・ハンコック監督作品

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 映画「メリー・ポピンズ」を初めて見たのは中学生の頃だったと思う。リバイバル公開だったと思う。(ビデオ、DVDでの視聴が当たり前になる前の時代、過去の名作に触れられるのはテレビ放映・リバイバル公開・二番館上映を待つしかなかったのである。)楽しくて、おかしくて、悲しくて、うれしくて・・・これぞ映画だ!と思ったものである。
 この映画は、ウォルト・ディズニーが「メリー・ポピンズ」映画化のために、原作者P.L.トラヴァースと交渉し、彼女を説得し、映画を完成させるまでのドラマである。
 原作者トラヴァース、このオバハンはとにかくヒステリックな頑固者!私の「メリー・ポピンズ」を映画化なんてできるわけがない、ミュージカルなんてとんでもない、アニメなんかもってのほか!それでも経済的事情もあって、ディズニーの申し出に応じて交渉の場に現れる。そして一つ一つ、映画の具体的脚本や演出を打ち合わせて、組み立てていく。ここでも「私の気に入らないものはすべて却下!」という姿勢を貫き(打ち合わせにおける全ての会話を録音して検証する徹底ぶり!)、最終的契約書にサインするのを引き延ばす。なんてひどいオバハンや!でもね、彼女の「頑なな心」は銀行員であった父親にまつわる不幸な想い出が原因となっていたのである。

 原作者P.L.トラヴァースは最終的に「メリー・ポピンズ」映画化にゴーサインを出すわけだが、何が彼女の「頑なな心」を融かしたのか?

 メリー・ポピンズがやってくる家庭の主バンクス氏(父親)は冷徹な拝金主義の銀行員であったが、バンクス氏が心を融かし家族想いの良き父に変貌を遂げる。この筋書きの転換が第1のキーポイントとなる。 この映画の原題「Saving Mr. Banks」からもわかるように、バンクス氏は原作者の父親の投影であり、彼の魂を救ってあげたいという願いが彼女の心を融かしたのである。もうひとつのキーポイントは、ロサンゼルスでのリムジン運転手(ポール・ジアマッティの妙演が光る!)とのやりとりの中に見いだされる。運転手の娘(身障者であるらしい)は原作の大ファンであり、原作への想いはもうすでに原作者の手を離れ「普遍化」していることを作者は実感する。そして自分の子供時代のトラウマを「物語」あるいは「映画」という「自分と切り離され、他者と共有できる芸術品」に昇華させることで、自分自身も救われることに気づく。そうした救済願望は実はディズニーの心にも強く存在し、結果として彼の説得により原作者の心は融けたのであった。

                *****

 「心を融かすもの」をテーマとした映画はまだまだたくさんある。まさしく文字通り「凍り付いた(FROZEN)心を融かすもの」を描いたのは、『アナと雪の女王(原題:FROZEN)』。ヒロインの心を融かすのは「真実の愛」である!といったところが、昔と変わらぬディズニーの真骨頂である。3D映像の素晴らしさも相まって、 本家ディズニーアニメの新しい金字塔といえる出来映えである。

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 あらゆる享楽に溺れ、強い偏見と拒絶に満ちた男の心が融けていく過程を描いたのは、『ダラス・バイヤーズクラブ』である。自分がエイズになり、薬剤行政の矛盾にぶち当たり充分な治療を受けることができず、何とかエイズ治療薬を密輸して生き延びようとする。その流れの中で、主人公が今まで拒絶してきた「自分とは異種なる人々」を受け入れ、彼らを頼り,彼らから頼られる人間に変貌していく様は見応え充分であった。

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 チョットこじつけかも知れないが、『フルートベール駅で』の主人公は人生最後の一日において、これまでの自分の行動を振り返り「自分を変える決意」をすると同時に、周囲の人々に「これから心を融かすかも知れないエッセンス」を振りまく。そしてトラブルに巻き込まれ、警官によって殺される。これは実話であり、彼は享年22歳の黒人青年であり、保育園に通う娘を持つ父でもあった。なんとも悲しい。

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                 *****

 「心が融ける」というのは、「変節」とか「妥協」とか「心変わり」とは違う。自分がこうありたいと願ってはいるが、なかなかそうできない段階から、「心を融かすもの」に接することでもう一つ高いレベルの考え方や感じ方ができる様になることだと思う。そのためにはいろんな意味での「資質」を育てておかねばならないのだが・・・。
 まあ、こういうことを考えさせてくれるとは、「いやぁ~映画って、本当に良いものですねぇ!」(って、古!水野晴郎のイタコか!)

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by nikikai_sapporo | 2014-05-01 00:03 | Dr.門脇 繁
「私の頭の中のリンク」もしくは「そして人生は続く」

今月は毎度おなじみ映画ネタの門脇が担当です。

               *****

 ある映画を観ている最中や、観終わってから、何か別の事柄とその映画のワンシーンが強烈にリンクしてしまうことがある。リンクする事柄は本当に様々で、食べ物だったり、歌だったり、幼い頃の記憶だったり、誰かの笑い声だったり・・・一見、まったく関連性がないように思えるのだが、一旦そのリンクのからくりを認識すると、もう「ツー」といえば「カー」という風に双方向で結びついてしまうのである。
 私の頭の中にある、こういったリンクが今回のテーマである。

               *****

 1990年年代、私がどっぷりとハマった監督、最もシビれた監督といえば、パトリス・ルコントである。彼の作品との最初の出会いが「髪結いの亭主」である。とにかく強烈で不思議な感覚のフランス映画である。

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 とあるフランスの海辺の街に少年がいる。中東風の音楽に合わせて、なんだか変な踊りを踊るのが得意な彼には、夢がある。豊満な肉体を持った女床屋を奥さんにすることである。父親から「将来は何になるんだ?」と訊かれ、「床屋さんの亭主!」と答えて、ドツかれる。まあこんな調子で青春を過ごしたわけである。この少年も歳を取り、中年にさしかかる。しかし夢を諦めない。すると、本当に理想そのものの女床屋が現れ、「髪結いの亭主」になってしまう。

 「強く思えば、必ず夢はかなう。」まさしくマーフィーの法則である。
 今流行の言い回しをすると、「引き寄せの法則」か?

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この女の過去は描かれないのだが、「いろいろ」あったらしい。そして幸せな数年が過ぎ、まさしく「幸福の絶頂」を迎えようとしたその瞬間、この女は、フイと出たきり「ハイそれまでよ。」というのはクレイジー・キャッツの唄だが、嵐の夜に不意に買い物に行くといって外に出て、増水した川(浄水所?)に身投げして絶命するのである。初めてこの映画を観たとき、私は30歳そこそこ。この女の行動に対して「いったい、なんでやねん?!」と感じたものだった。

 その後しばらくして、ある曲とこの映画の女の心情が私の頭の中でリンクした。

その曲は荒井由実の「14番目の月」。

~愛の告白をしたら最後 そのとたん
 終わりが 見える
 言わぬが花 その先は言わないで
 次の夜から 欠ける満月より
 14番目の月が いちばん好き~

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そうか、この女は「14番目の月」が好きだったんだ!きっと過去に、月が欠けていくような愛の喪失を経験し、その喪失の再現におびえていたのである。この映画を再見すると、その辺の女の心の動きが伏線でしっかり描かれている。まったく映画の見方が甘いときたもんだ!!でもね、男の方の立場はどうよ!?私としてはこっちの立場で映画を観てしまう。この男はさぁ、夢を追ってばかりで現実離れした人生を送ってきたから「愛の終わり」なんて経験ないんだよ。離陸の経験はあるけど着陸はしたこと無いパイロットみたいなもんなんだよ。それが突然墜落かよ!自分が墜落したことすら気づいてないんだよ。勘弁してやってくれよ!ブツブツブツ・・・・・。

 と、まあ、こんなわけでユーミンの「14番目の月」を聴くと、この映画を思い出し、この映画の女の心情を想うとこの曲が頭の中に流れるようになったわけである。

それでも・・この男の人生は続くのである。

               *******

 昨年の初頭に公開されたデヴィッド・マッケンジー監督作品「パーフェクト・センス」は稀にみる傑作というわけではないが、実に心にひっかかるイギリス映画である。

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正体不明のウィルス感染が全世界に広まり、人類は「五感」を次第に失っていく。 そんな世界の終わりへまっしぐらの中、レストランのシェフをしてる男と感染症センターの研究員をしてる女が惹かれあい、求め合う。 この疾患の症状発現の流れは以下のとおり。最初の前駆症状は「深い深い悲しみ」。はらはらと涙を流す。そして突然、嗅覚を失う。次の前駆症状は「極度の恐怖と飢餓感」。手当たり次第に貪り食う、食う、食う。そして突然、味覚を失う。次の前駆症状は「理由なき怒りと憎悪」。罵詈雑言の垂れ流し。そして突然、聴覚を失う。次の前駆症状は「とびきりの幸福感」。優しさと喜びに溢れ、人生の素晴らしさを味わう。そして突然、視覚を失う。最後の触感を失う前にこの映画は終わる。これだけ読むと、なんだこりゃ?ってことになる。しかし、である。この映画はよくあるサスペンスではない。パニック映画でもない。説教臭かったり、宗教臭かったりしない。これは「ラブ・ストーリー」なのである。あるいは、かなり捻りのきいた「人生賛歌」と言ってもいいのである。「愛って、何かね?」「生きるって、何かね?」ということがテーマなのだと「感じる」のである。ラストシーンの落としどころが素晴らしい。ネタバレはやめておくが、「そうか!そう来たか!」と膝を打つことになる。

 そうやって膝を打ったところで、ある落語の小噺とこのラストシーンが私の頭の中でリンクした。

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落語家五代目古今亭志ん生の有名な小噺。これはこんな感じ(うろ覚えですが・・)。
井戸端会議でのひとこま。
「あんた、所帯を持ったんだって?」
「ええ、そうなのよ。」
「どんな亭主なのさぁ。器量が良いのかい?」
「全然。鬼瓦よ。」
「じゃ、稼ぎが良いのかい?」
「全然。グータラよ。」
「じゃ、やさしいんだろ?いろいろ気使ってくれるんだろ?」
「全然。唐変木よ。」
「じゃ、なんでそんな男と一緒になったんだい?」
「だって寒いんだもん。」

まあ、男と女はこんなもんですわ。 この映画のラストシーンで、 嗅・味・聴・視の感覚を失いこの世の終わりに立ちすくんでも、 男と女は最初から互いに求めてきたものが何か解っている。そして、それはまだここにあると「感じている」。

「世界が終るってぇこんな時に、あんた方、いったい何やってんだい?」
「だって寒いんだもん。」

それでも・・ふたりの人生は続くのである。

                 ******

 今回取り上げた二作品とも、いわゆる「寓話」である。だからどう解釈したっていいじゃない、ってことになる。解釈とは「咀嚼して呑み込む(嚥下する)」ことである。その際の味わい、歯触り、舌触り・・ああ、こりゃ前にも食ったことがあるような気がするねぇ・・そうだ!と思った瞬間、歌や踊りや小説や、はたまた落語、小噺、演劇と、いろんなものにリンクする。こんなときが、映画鑑賞における一番の幸せな瞬間であると「感じてしまう」のである。 

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by nikikai_sapporo | 2013-04-01 07:48 | Dr.門脇 繁
「こんな夢を見た」

「こんな夢を見た」で始まるのは、黒澤明1990年の作品「夢」である。さかのぼって、夏目漱石の「夢十夜」の各エピソードの冒頭もこれではじまる。でも今回は、こういう高尚な話ではなくて・・私の妄想的な夢の話である。

  *****

 その夢の中で、私はかなり老いぼれている。歯医者は引退しているようだ。でも出勤している。そこは大手レンタルDVDの店である。TSUTAYAなのかGEOなのか判らない。店の奥には小さな私のオフィスがあって、そこで私は白衣を着て患者(客)を待っているのである。私の仕事は、患者の主訴を訊き、症状を分析し、適切なる処方をすることである。処方するのは薬ではなく、映画(DVD or Blu-ray)である。たとえば、こんな具合である。

症例1 56歳 女性 主訴:運動不足を改善したい。
「私、軽い糖尿病だそうで、尿酸値も高くて・・。医者から運動療法が必要って云われてるんだけど、忙しいし、もともと運動嫌いだしねぇ。映画観てる方が好きなんですよ。観てるだけで運動になるような映画ってありませんかぁ?」

処方「ロッキー・ホラー・ショー」1975年イギリス映画

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解説:言わずと知れた超カルト・ホラー・ミュージカル映画です。この中の有名曲「タイム・ワープ」のシーンでは、ちゃんと踊り方の解説が入ります。臨床統計では94%の観客が無意識にこの曲に合わせて踊ってしまうことが知られていて(Really?)、私も劇場で思わず踊り出しました(さすがに足だけでしたが)。この映画を観て、あなたが自然と踊りださなければ、もう何をやっても運動療法は無理なので、動かず、静かに余生を送ってください。お大事に。

症例2 33歳 男性 主訴:不倫関係に悩んでいる。
「不倫に悩んでいます。いや、まだ一線は越えていないんです。私には妻子がおりますし、相手の女性も既婚者です。頭がどうにかなりそうです。何か示唆に富む映画はないですか?」

処方:「恋に落ちて」1984年アメリカ映画

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解説:まったくベタな処方で申し訳ないです。映画自体はとびきりの名作って云うわけでもないですが、25年以上たった今でも強烈に記憶に残っているシーンがあります。ロバート・デニーロ扮する男は、人妻メリル・ストリープと付き合いだしたことがおかみさんにばれてしまう。男は「一線は越えていないんだ。」と弁解するも「その方がもっとタチが悪い!」とおかみさんに一発強烈な平手打ちを食らってしまう、このシーンであります。当時(1980年代)、「自分に素直に生きること」がすでに美徳となっていましたが、その代償として「美学」という概念が失われたのです。 落語の「まくら」によく出てくるフレーズにこんなのがあります。~他人(ひと)の女房と枯れ木の枝は、登りつめたら先が無い~先が無いから「いてまえ!(昔の近鉄の打線か?)」というドラマが多い中、この映画には「踏みとどまる美学」があります。あなたに足りない「物差し(価値基準)」はこのような美学だと思うのです。私がこの映画を観たのは二十代半ば。デニーロとストリープの恋物語は大人の世界でした。今となっては、自分は当時の二人の年齢をとうに超してしまい、こんな小言を言っているのであります。あなたにも将来、こういう小言を若いモンに言う場面が訪れることを祈っております。お大事に。

症例3 22歳 女性 主訴:なんかぁ、もっとぉ、はじけたい、ていうかぁ。
「なんかぁ、最近、おもしろくないんですよぉ。お金の心配は今のところ無いんですよぉ・・・ちょっとスポンサーって言うか、そういう男がいるんで。だいたいのモノはすぐ手に入るから。でも、もっとなんか、刺激が欲しいんですねぇ。映画にそんな刺激を求めても、しょーがないとは思うんですけどぉ、なんか良いのあります?」

処方:「レイジング・ブル」1980年アメリカ映画

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解説:あなたはある意味「盲人」です。耳も聞こえていないかもしれない。宗教的な言い方をすれば、雷に打たれて目覚める必要があります。この映画は「雷」にはならないかもしれませんが、ボディ・ブローのように効く可能性があります。私は20歳の頃に初めてこの映画を観て、あまり好きになれなかったです。性悪のボクサーが惨めな末路をたどるというだけの映画に思えたからです。40歳を過ぎてから見直したときには、以下の聖書の言葉がこの映画で引用されている、その意味がよくわかるようになっていました。

そこでパリサイ人たちは盲人であった人を、
もう一度呼んで言った。
「神に栄光を帰するがよい。
あの人が罪人であることは私たちには分かっている。」
すると彼は言った。
「あの方が罪人であるかどうか私は知りません。
ただひとつの事だけ知っています。
私は盲であったが今は見えるということです。」

『新約聖書 ヨハネによる福音書 第9章24-26』より

今の段階で一度この映画を観ておいて、20年後にもう一度観ることをおすすめします。効きます!もし運良く、デニーロのぶよぶよの腹にあなたの未来を垣間見ることができれば、この映画はあなたにとって「雷」になることでしょう。お大事に。

症例4 45歳 男性 主訴:借金が苦しい。
「サラ金、闇金等々にべらぼうな借金を作ってしまい、もう首が回りません。心機一転、一発大逆転のチャンスはないものでしょうか?カンフル剤になるような映画を!」

処方:「エクソシスト」1973年アメリカ映画

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解説:省略。お大事に。

  *****

 我ながら思うに、もう少し儲かるような夢、景気の良い夢をなんで見ないのだろうか?旧作100円レンタルなら、「処方料」は10円ぐらいか?やれやれ、自分にあきれるばかりである。要するに、宝くじに当たるとか、埋蔵金を掘り当てるとか、そういう「了見」が端っから無いのである。そういう「了見」が無いから、そういう夢も見ないのである。
 最近観た映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」の中に素晴らしいセリフがあった。以下は、鉄の女サッチャー女史の父親の言葉として紹介されているものである。

Watch your thoughts, for they become words.
Watch your words, for they become actions.
Watch your actions, for they become habits.
Watch your habits, for they become character.
Watch your character, for it become your destiny.
What we think, we become.

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 この言葉の意味は、「人の了見が人を造る」ということなのだと私は思う。ここには夢(dream)などという甘ったるい単語は出てきていない。しかし、私の妄想的な夢をこの言葉に沿って解釈すると、「映画のことを考え、映画のことを語り、休みごとに映画館に通い、それを何十年も続けて映画バカというキャラが定着し、最後にはレンタル屋の片隅で映画を処方して余生を送ること」が私の運命なのではないかと思えてくる。良いような、悪いような話である。


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by nikikai_sapporo | 2012-05-07 06:37 | Dr.門脇 繁
<1995年~Retrospective>

 先日ある珍しい人物からメールが届いた。彼女は高校、大学歯学部、そして大学医局の後輩である。
「1995年の高校の同窓会誌をお持ちの方の心当たりはありませんか?」
 彼女は高校の同窓会幹事期を今年迎え、同窓会事務局のお手伝いをしているそうだ。
1995年阪神淡路大震災が起こった年の会誌の内容を知りたいのだが、事務局にはその年だけ欠落しているらしい。ちょうど、私自身が持っていたのでその年の会誌を貸し出すことになった。ちらちらと会誌の中身を見て、何故この年の会誌だけが同窓会事務局に欠落しているかがすぐに判った。

1995年~我らが母校の創立100周年の年だったからである。

いつもは多く印刷しすぎて余ってしまうことが多いのだが、この年に限っては記念に持ち出していった関係者が多数いたのだろう。

そして、私の想いは1995年へと飛んでいった。

******


 1995年1月、あの阪神淡路大震災が起こった。
 まだ今のようなインターネットの時代じゃなかった。YouTubeもTwitterも無かった。情報はもっぱらテレビやラジオからだった。その日の朝、二期会の医局では「関西で大きな地震があったようだね。」程度の認識で、昼休みには「詳しくは判らないけど、どエラいことになっているようだ。」となり、うちに帰ってから見たテレビでその惨憺たる有様を知ることとなった。
 以下は、現在、関西の大学に通う私の娘から聞いた話である。
クラブの先輩達と一緒の車の中での会話。運転していたのはある先輩のお父さんで、高速道路を走っていたときに彼が言ったそうだ。
「ここの道路がね、阪神淡路大震災でちょん切れたんだよ。」
「次の大地震は関西じゃない場所で起こると思うけど、いつになるだろう。40年後かもしれないし、明日かもしれない。」
その会話が交わされたのは、今年2011年3月10日の夕暮れのことだったそうだ。

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***


 1995年3月、あのオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。
 確か日曜日と祝日に挟まれた月曜日の朝の通勤時間に事件は起こった。私がそのニュースの第一報をテレビで観たのは、北大の口腔外科の医局だった記憶がある。そのころ私は口腔外科の認定医(現在の専門医)取得のための書類(自分が担当した手術所見や入院患者記録のまとめなど)作製に忙しく、しばしば二期会歯科から出身医局に出向いて先輩や教授に指導を受けていたのである。テレビを見ていても、何がどう起こったのか良く理解できなかった。しかし、この事件が松本サリン事件や弁護士拉致殺害事件などと結びつき、オウム真理教という団体の実態が判ってくるにつれ、背筋の凍る思いがしたのを憶えている。こうした一連のテロ事件は、決して外部(外国)からの攻撃ではなく、バブル経済に酔いつぶれた日本の一部分がメルトダウンし、その結果生じた閉塞集団が自己免疫疾患のメカニズムの如く「日本という自己」を攻撃したものであった。そして 一連のテロ実行犯達は、まさしく自分と同世代(当時30歳代)の各分野でのエリート集団だった。とりわけその事実が哀しく、衝撃的であった。 今から思えば、これはかつて日本が経験したことの無いようなテロ事件であったし、これはその後日本社会が変質していくターニングポイントだったと考えて良いのではないだろうか。

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 15年の時が流れ、劇作家・野田秀樹は2010年「ザ・キャラクター」という芝居で地下鉄サリン事件をとりあげた。その後「表に出ろいっ!」「南へ」の二作と続き〜『信じること』を現代に問う三部作〜を完成させた。私は「ザ・キャラクター」は東京芸術劇場で観劇し、「表に出ろいっ!」はテレビで観た。ここに描かれた「信じられるもの」「日常を忘れて心酔できるもの」はあくまで「他の誰か」が演出したエンターテインメントあるいはフィクションなのである。しかし登場人物達は(おそらくオウムの信者らも)現実(自己)とそれら対象との距離感を失い、客観性が上手い具合に消された世界〜麻薬的で排他的で盲目的な世界〜に嵌り込んでいくのである。これらの芝居(物語)は「(村上春樹の言葉を借りれば<注>)フィクションと実際の現実との間に引かれている一線をうまくあぶり出せなくなった」人々が起こした惨劇であり、悲劇なのである。その惨劇は1995年に起こり、悲劇は今も尚続いているのである。三作目の「南へ」は今年の三月の連休に東京に観に行く予定を立てていたが、今回の震災で断念した次第である。誠に残念。

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***


 1995年の8月15日は終戦(敗戦)50周年であった。
 こういう意味においても、この年は日本にとって区切りの年だったのである。そして村山談話である。村山さんは阪神淡路大震災の際に初動対応の鈍さで批判されたが、この談話で歴史に残る総理となった。この談話内容は色々と論争の的にはなっているが、一応戦後50年を総括する真摯な態度が貫かれたものだと私は評価している。その後の首相達もこの談話を基本的に踏襲しているわけだしね。

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***


 そして1995年12月28日に「映画」は満100歳をむかえた。
 映画のはじまりをどう考えるかは諸説(1892年のキネトグラフ〜ロールフィルムに連続写真を撮影する装置、1894年のキネトスコープ〜一人だけが覗き穴から動画フィルムを見る装置で、 エジソンの発明の一つ)がある。しかし一般的には、フランスのリュミエール兄弟が1895年2月に「シネマトグラフ」を開発し、その夏に様々なドキュメントを撮影して写真協会などの学会・総会などで上映も行い、ついに12月28日にパリのあるカフェの地下に観客を集めて有料上映した、その日、そのときが「映画の誕生」と言われている。おそらくこの観点から「撮影、音響、編集などが完了した時点ではまだ単なる『フィルム』であるが、そのフィルムに光が当てられ、白いスクリーンに映し出された映像が多くの人々の眼に飛び込んできたときに初めて『映画』となる」という解釈が成立するのである。
 私は1975年から自分独自の映画ベスト10を選出し、現在に至っている。1995年の私のベストワン映画は何かというと・・「レオン」である。15年経った今でも、文句なしだな!(その年、一般的には「ショーシャンクの空に」がベストに選ばれる傾向にあった。私はこの映画は少々感動強要の臭みが気に入らなかった。)登場人物の個性と心情をしっかり描き、アクションとサスペンスのキレも最高。ジャン・レノ頂点の演技であり、ゲイリー・オールドマンの怪優としての開花であり、リュック・ベッソン監督の最後の輝きであった(近年の彼の監督作品には失望を通り越して、怒りを感じる!)。スティングが唄うテーマ曲「The Shape of My Heart」はスタンダードナンバーとして歌い継がれている。そして、何よりも衝撃的なナタリー・ポートマンのデビューである。彼女は、私を含めた、全世界の「オッさん」の心を鷲づかみにした。その後、派手さは無いものの着実にキャリアを積み上げ、ついに今年のアカデミー主演女優賞を「ブラック・スワン」で獲得するに至っている。実に、めでたい!めでたい!

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***

 
 映画が100歳の誕生日を迎えた翌日、私ら夫婦は結婚10周年を迎えた。
 
 1995年はそんな年だった。

******


 最近、泣ける唄がある。食道癌と闘い、今年復帰を果たした桑田佳祐の新曲「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」である。

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・・・今はこうして大人同士になって失くした夢もある
   時代(とき)は移ろう
   この日本(くに)も変わったよ、知らぬ間に・・・・

・・・現在(いま)がどんなにやるせなくても
   明日(あす)は今日より素晴らしい
   月はいざよう秋の空
   月光の聖者達(Mr. Moonlight) Come again, please.
   もう一度、抱きしめたい・・・・・

 メロディは相も変わらぬ「桑田節」であるが、3.11後を生きていく日本人の一人として、このような歌詞を切々と唄われると身体の芯が熱くなるのである。特に1995年を回顧しつつこの曲を聴くと、「 明日(あす)は今日より素晴らしい」と言い切らねば前に進めない切なさが、より一層心にしみるのである。

<注>村上春樹:雑文集「アンダーグラウンド」をめぐって p204-205


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by nikikai_sapporo | 2011-05-03 18:15 | Dr.門脇 繁
女の顔に荒野を見た!~近作における3D的考察~

 昨今の映画の話題は猫も杓子も3Dである!でもねぇ、映像が飛び出してくればいいてぇもんじゃないでしょ。見た目に奥行きがあっても、映画そのもの~描かれている物語や人物に「奥行き」が無けりゃお話にならないのである。

 そこで今回の門脇担当の映画ネタは、最近観た二本の映画の「3D」的考察である。

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 クリスマス間近の寒い朝、女はトレーラーハウスの前でタバコを吸っている。彼女の顔は途方に暮れた悲しさに覆われている。肌は荒れ、皺は深く深く刻まれ、涙も凍りつきそうである。その顔には「荒野」が見える。これまでも貧困の中で苦しい生活をしてきたのだろう。それでも何とか生きてこられた。しかし今朝目覚めたら突然、彼女は荒野に置き去りにされてしまったのである。

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 映画「フローズン・リバー」のファーストシーンである。
 主人公である女(レイ)は、新しいトレーラーハウスを買うため必死に貯めた資金をギャンブル狂いの夫に持ち逃げされたのである。彼女は100円ショップ(1ドルショップ)で店員をしながら、高校生と5歳の男の子を育ててきた。きっと蒸発する前から夫は当てにならないヤツだったんだろう。さあ、どうやって生きていく?レイは夫捜しの途中で知り合った若いモホーク族(ネイティヴアメリカン)の女と犯罪に手を染めていき、必然的に悲劇が待っている、という筋書きである。
 悲劇の果て、ラストではトレーラーハウスの前にある壊れかけたメリーゴーランドで、レイのふたりの息子、そしてモホーク族の若い女と彼女の赤ん坊が遊んでいる。主人公レイの姿は見えない。レイの不在が皮肉にも新しい家族の希望を意味することとなる。

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 そのラスト直前、心に残るシーンがある。高校生の兄ちゃんは弟にクリスマスプレゼントのおもちゃを買ってやるために、稚拙なカード詐欺を働く。当然ばれて警察が被害者の婆ちゃんをトレーラーハウスまで連れて行く。警察は兄ちゃんをパトカーに乗っている婆ちゃんの所まで連れて行き、直接詫びを入れさせるのである。ぎこちなく「ごめんなさい」と詫びる兄ちゃん。無言でうなずく婆ちゃん。こうして筋をきちんと通すことが「生きていく」事の基本であり、若いヤツの過ちを厳しく対処しつつも「人として許すこと」が希望をはぐくむのだと痛感させられる。素晴らしい希望のショットである。

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 空港の待合室(カフェ?)で、一人の女がタバコを吸いながら何か(誰か)を待っている。彼女の顔はスッピンでやつれていて、「血の気」が無い。死んではいないが、決して「生きている」ようには見えない。生きること、存在することを拒んでいるようにも見える。彼女の顔にも「荒野」がみえる。彼女はずっと長く荒野を一人で歩いてきたし、きっとこれからもその孤独の中で歩き続ける覚悟があるようにも見える。

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 映画「ずっとあなたを愛している」のファーストシーンである。
 主人公である女(ジュリエット)は15年の刑期を終え、出所したばかり。年の離れた妹が同居を申し出てくれて、彼女の家に向かおうとしている。長く「不在」であったジュリエットは新しい土地で新しい家族と過ごし、新しい仕事を見つけ、新しい社会の中で「生きて」いかなければならない。しかし過酷なハードルがいくつもいくつも待ち構えている。なにせジュリエットが犯した罪は殺人で、しかも自分の6歳の息子を手にかけたのであるから。そして殺人の理由や背景は公判でも明かされることがなかったのである。
 彼女の「荒野」は徐々に耕され、灌漑されていく。その過程を映画は慌てずじっくり描き出す。そして最後に激流のような姉妹の感情のぶつかり合いの果て、「WHY?」が明かされる。ラストシーンのジュリエットの顔にはもはや「荒野」はなく、「私は、ここにいる。」と高らかに言い放つのである。これはジュリエットの再生と希望を意味するものであろう。

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 この映画にもラスト直前に、とびきり美しいシーンがある。刑務所で教鞭をふるった経験のある妹の同僚(さえない禿オヤジ)がジュリエットの理解者として現れるのだが、彼女はなかなかそれを受け入れられないでいる。二人の共通の趣味が絵画であることから、美術館でデートを重ねる。美術館の螺旋階段を下りるとき、ジュリエットは何か彼にささやきそっと彼の肩に手を置く。カメラは階段を下りる二人を階下から仰視する。そして階段の壁には、二人の行く末を見守っているような天使像が見える。これもまた心打つ希望のショットである。

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 この二本の映画は、もちろん専用メガネをかけて観る3D映画ではない。平面のスクリーンに映し出される2D映画である。映画はたかだか二時間で「物を語る」見せ物であるけれど、人間を描くにはその脚本の中に過去と未来をつなぐ時間軸がしっかり通っていなければならない。この二本の映画の脚本は、ファーストショットの「荒野」で過去を描き、ラストショットで微かな希望の香りを未来に放つ見事なものである。この時間軸という「Dimension」がしっかり通った映画こそが専用メガネ不要の「3D」映画であり、「奥行き」を持った映画と言えるのではないだろうか。


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by nikikai_sapporo | 2010-05-08 06:57 | Dr.門脇 繁
~「映画の言霊」を読んで~

最近読んだ映画関連の本で面白かったのは、重田サキネ著「映画の言霊」である。この本は北海道新聞の夕刊に3年ほど連載されていた映画のセリフに関するコラムをまとめた作品である。チョイスされた映画とセリフ、そしてそのセリフからくみ取る人生訓の切り口が、巷に溢れる「名セリフ集」の類とは一線を画し、すこぶる新鮮である。強いてマイナス点をいえば、チョット説教くさすぎるところだと思うが。

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この本に掲載されたセリフの中に、私のお気に入りのセリフが2つ取り上げられていたので非常にうれしく思った。今回はこれら2つのセリフについての私的考察である。

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「人生には目撃者が必要なの」~映画:シャル・ウィ・ダンス? より

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日本映画の傑作「Shall we ダンス?」のハリウッドリメイク版の中のセリフである。リチャード・ギア扮する夫が社交ダンス&ダンスインストラクターに「恋」をする。それは「日常」=「妻」に対する「非日常」=「浮気」と言えるであろう。この物語が下世話なドロドロした話にならないのは、日常と非日常の存在意義をひっくり返そうとするのではなく、日常に踏みとどまりつつ非日常から得た生命力(生き生きした感情)を日常にフィードバックしていこうとする展開だからだと思う。

日本版では夫(役所広司)の踏みとどまり方が共感を呼ぶが、ハリウッド版では妻(スーザン・サランドン)の踏みとどまらせ方が素晴らしい。日本版では妻の描き方がかなりあっさりしているのだが、妻の存在感を映画の核に据えたハリウッド版の脚色はこの点において出色の出来映えだと思う。夫婦とは何か?結婚とは何なんだ?と改めて考えてしまう状況下で、妻が夫に発する決めゼリフが「人生には目撃者が必要なの」である。

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「目撃者」とは何か? 独身者である重田サキネ氏の言葉を借りると「感情や思い出を共有する相手」ということになるが、その表現はちょっとキレイすぎる。 原語では確かwitnessだったと思うので、「証人」でも「立会人」でもいいわけだ。私としては「証人」が一番しっくりする。

結婚とは、これからの私の人生で起こる良いことも悪いこともすべてにおいて「コイツが私の証人ですよ」と宣言することなのだと思う。妻(あるいは夫)とは人生すべてを見られてしまう存在ではなく、見守ってくれる存在なのだと思いたい。ガーシュウインの名曲でいえば ”Someone to watch over me”なのだ。

私の寿命が尽きて三途の川を渡り、閻魔大王の前で裁きを受けるとき、弁護側の証人として出廷するのも検察側の証人として証言するのも「ウチのカミさん」なのである。ありがたや、ありがたや。こんなとき証人としてだーれも出てきてくれなかったら、そりゃもう悲しくてつらくて、死んでしまいたくなるはずなのだ。いや、そのときにはもう死んでいるのかぁ・・。

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「本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」~映画:椿三十郎 より

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これは黒澤明の超有名作品の名セリフである(森田芳光監督の2007年リメイクは全く同じ脚本を映画化しているので、当然このセリフも出てくるわけである。何という冒険!とういうか暴挙!?)。迷うことなく敵をばっさばっさと切り倒す三船敏郎=椿三十郎に対して、老奥方=入江たか子が諭すように「あなたはギラギラした抜き身の刀の様。 本当にいい刀は、鞘に入っているものですよ。」と言うのである。

重田サキネ氏の現代的捉え方が実におもしろい。彼女曰く、現代人(特に若者)は良くも悪くも「鞘に収まった刀」ばかりなのである、と。その不気味さと抑圧をため込んだ「刀」は、稀に世間に飛び出す「抜き身」に対して過剰な嫉妬とバッシングをぶちまけるのである、と。

「抜き身」と言ったって、三船=三十郎のように凄腕の本物はほとんどおらず、たまたまキレて本音をバリバリ前面に出す奴とか、自己表現がすべてと言わんばかりに吠えまくる奴とか、「目立つ馬鹿」がほとんどなのだ。しかし「ギラギラした本物」と「目立つ馬鹿」との違いなど「鞘に収まった刀」集団には関係ないのであって、お構いなしにどちらもこっぴどく叩かれまくるのが現代なのだ。

なんとも嫌な御時世である。

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私の長年の座右の銘は「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」である。多少「能」と思われる様なものを持ち合わせてはいるかもしれないが、多くの「能無し」部分に紛れさせながらおとなしくしているのが良いよね、っていうことである。

私はこれで生きてきました。

しかし、このセリフに対する彼女の捉え方を読んで、これではダメなのか?と思えてきた。だって「能ある鷹は爪を隠す」という美徳が充分成立する世の中であればこそ「能無しの鷹は能あるが如く爪を隠す」ことに意味があるのだから。
みーんな「能のあるなしを問わず爪を隠している」世の中じゃ意味無いジャン、ということになる。

そこで自分にこう問うわけだ。

自分の「能」を評価してもらえるようしっかり努力しているのか?いざというときのために「爪」や「刀」の手入れはぬかりないか?
自分が「抜き身」になったとき「目立つ馬鹿」ではないと自ら証明できるのか?他人の「鞘」を見て、その中の「本当にいい刀」を見抜く眼力を持っているのか? 

恥ずかしながら、答えはNOである。
要は「本当にいい刀」への道は険しい、ということなのだ。

このセリフに呼応するように映画のラストの対決では、三船=三十郎も仲代達矢=室戸半兵衛もなかなか刀を鞘から抜かず、長らく睨み合う。ついに抜かれた二本の刀は一瞬ぎらりと光り、そして究極の仕事をした「本当にいい刀」の方だけが静かに元の鞘に収められるのである。

やっぱり「本当にいい刀」は鞘に入っているのである。

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by nikikai_sapporo | 2009-05-02 12:26 | Dr.門脇 繁